浅田舞 宵闇に輝く奇跡の月
Asada Mai A miracle shining moon in the dusk
スポーツキャスターとして活躍する浅田舞がグラビア初登場! 健康的な小麦色の肌、凛とした表情、そして天真爛漫な笑顔……。浅田舞の新たな魅力に気づく衝撃。
Asada Mai active as a sports caster debuts gravure for the first time! Healthy wheat-colored skin, dignified facial expression, and innocent smile …… Impact to notice the new attraction of Asada Mai.

浅田舞 世間を騒がせた美BODY
Asada Mail Body beauty noisily
衝撃のグラビアデビューを飾った浅田舞。大反響につき、世間を騒がせた美BODYをアンコール掲載! まだ見ぬ浅田舞の魅力に迫る、完全未公開カットをお届け!!
Asada Mai decorated the impact gravure debut. On big echo, Angkor posted beauty BODY which made the world noisy! Deliver complete undisclosed cuts approaching the charm of Asada Mai that you have not seen yet! !

浅田舞 美BODYのすべて。
Asada Mai All of beauty BODY
衝撃のグラビアデビューを果たしたフィギュアスケーターの浅田舞。キューバ、グアム、名古屋で撮り下ろした初写真集の未公開カットを一挙公開!!
Asada Mai, the figure skater who performed the impact gravure debut. Unpublished cuts of the first photo books taken in Cuba, Guam, Nagoya are released at once! !

浅田舞 カリブの思い出
Asada Mai Memories of the Caribbean
写真集『舞』発売から約1年半。彼女と紡いだ「カリブの思い出」を、もう一度。

浅田舞 光艶 美ボディ、再び
Asada Mai Light glazed body, again
フィギュアスケーターとしてだけでなく、キャスターや舞台女優など、ジャンルを超えてマルチに活躍する才媛。このたび、「週プレ酒BAR」スペシャルアンバサダーとして約2年半ぶりの撮り下ろしが実現!! 僕らの浅田舞が大人になって帰ってきた!
About a year and a half since the photo book “Mai” was released. I spun with her “Memories of the Caribbean”, once more.

浅田舞 花盛り
Asada Mai Flourishing
南国グアムで約2年半ぶりに撮り下ろした光と艶
Light and gloss photographed for about two and a half in Guam Nankoku

浅田舞プロフィール
名前:浅田舞(あさだまい)
生年月日:1988年7月17日
出身地:愛知県名古屋市
略歴:
7歳の時にスケートを始める。2001年まで名東フィギュアスケートクラブで門奈裕子に師事。2001年からはグランプリ東海クラブの山田満知子と樋口美穂子の指導を受ける。
2002-2003シーズンの全日本ジュニア選手権で2位となり、世界ジュニア選手権に出場。国際大会初出場ながら、予選2位。フリースケーティング(フリー)では3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを不完全ながら着氷し、総合4位入賞を果たした。2003-2004シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)スロバキア大会でJGP初優勝。世界ジュニア選手権では、試合直前に食あたりを起こしながらも2年連続の4位に入った。
2004-2005シーズン、野辺山合宿の練習中に他の選手と衝突し、顔を4針縫う怪我を負った。
2006年からアメリカロサンゼルスに練習拠点を移し、ラファエル・アルトゥニアンに師事。同年10月のキャンベルカップ団体戦でフリーを滑り、参考記録ながらパーソナルベストを大きく上回る103.27点を出した。この2006-2007シーズンからISUグランプリシリーズに参戦した。
2007年にはコーチをナディア・カナエワ(アルトゥニアンのアシスタント)に変更。2007-2008シーズン、澤田亜紀の欠場で急遽NHK杯に出場するが、浅田も風邪をひいており、会場練習ができないままSPに臨むこととなった。フリーは熱が上がったため棄権。全日本選手権では12位だった。
2008年から拠点を名古屋に戻した。オフシーズン中にジャンプが跳べなくなり、6月から本田武史の指導を受けて立て直しをはかる。全日本選手権では15位となり、それにより、2009年度では、シニア強化選手指定外にされる。中部フィギュアスケート選手権大会を棄権した後、フィギュアスケート競技会へは出場しておらず、フィギュアスケート競技と並行してのアイスショーやイベント等への出演、スポーツ番組のコメンテーター、スポーツキャスター、レポーター、タレント等での活動となる。
2014年2月のソチオリンピックでは、主にフィギュアスケートのコメンテーターとしてテレビ出演。女子シングル種目では、実妹の真央がSPでジャンプミスを連発し16位と大きく出遅れてしまいメダル絶望となったが、フリーでは女子で唯一3回転アクセルを成功させるなど3位と挽回し、総合で6位入賞を果たす。真央のフリー演技後、NHKの番組で「本当は(真央に)『大丈夫だよ』って言ってあげたかったが、喝(かつ)を入れるために敢えて叱った」と涙ながらに告白していた。
これまで、引退について明確にしていなかったが、引退していることを話すようになっている。

(引用元:shecool https://shecool.net/photo/asada-mai-wpb-2014-50/)
(引用元:shecool https://shecool.net/photo/asada-mai-wpb-2015-01-02/)
(引用元:shecool https://shecool.net/photo/asada-mai-wpb-2015-14/)
(引用元:shecool https://shecool.net/photo/asada-mai-wpb-2017-25/)
(引用元:shecool https://shecool.net/photo/asada-mai-wpb-2017-26/)