ヒロミとカップ麺分け合い…デビット伊東が語る下積み生活

 90年前後、3人組コントグループ「B21スペシャル」で人気を博したデビット伊東さん(48)。近年は俳優兼ラーメン店の経営者としても活躍しているが、「B21スペシャル」でデビューする前はやはりお金がなかった。若い時はそれも苦にならなかったそうだが……。

 高校を出た後、「オスカル」ってショーパブで歌ったり踊ったりしていたんですけど、「オスカル」がつぶれた後の半年間くらいが、ボクの人生で一番お金がなかった時期ですね。いや、どうにも食えなかった。

 高校を卒業した後、これからどうしよう、とりあえず仕事しないと、と思い、埼玉の実家から東京・上石神井のスイミングスクールに通い、昼間は水泳のコーチをし、夜から朝までは新宿・歌舞伎町の「オスカル」で働き始めたんです。

 ところが、その「オスカル」が1年ぐらいでつぶれちゃった。月12万~13万円稼いでいたので痛かったですね。水泳コーチの時給は680円。しかも、1日2時間くらいしか入れられなかったので、たいした金にならないんですよ。

 どうして水泳のコーチを1日2時間くらいしか入れられなかったかというと、当時、ヒロミさんとミスターちんさんと3人で「B21スペシャル」を結成し、動き始めたばかりで、コントの練習に忙しかったから。埼玉の実家から通う時間が惜しくて、「オスカル」でDJをしていた方の西新宿のアパートに、ヒロミさんと一緒に居候し始めたくらいでしたから。

 でも、居候させてもらったおかげで交通費も助かりました。部屋は1LDKで、DJが1部屋を使い、ヒロミさんがダイニングを使っていました。ボクはスペースがないので、押し入れで寝てました(笑い)。しかも、上段はDJのレコードやなんかがギッシリ詰まっていて、真ん中が重みでしなっていて。

 その下段にボクは布団を敷いて寝ていたんですけど、押し入れの幅って180センチなんですよ。ボクの身長は180センチなのでピッタリで(笑い)、狭い、狭い。眠る時はふすまを閉め……。閉所恐怖症の人は無理でしょうね~。ボクは平気でしたが。

■女性からのプレゼントも質屋に

 食事はよくフランスパンをかじってました。よく噛まないとのみ込めないので、だんだん顎が疲れて食べたくなくなるんですよ。

 あと、1個のカップラーメンをヒロミさんと分けて食べたり。ひとりは“麺担当”で麺だけを食べ、もうひとりは“スープ担当”でスープにフランスパンとかを浸して食べるんです。

 こんな食事ばっかりだとつらいですけど、何とかなるというか。師匠の星セントさんをはじめ、「オスカル」時代にひいきにしてくれた女性とかが、食べさせてくれたんですよね。

 ただ、食事は何とかなっても、水泳コーチのアルバイトだけではやっぱり生活できないので、新宿のアイスクリーム屋さんでも、1年ぐらいアルバイトしてました。そこも時給600円。チップをくれるお客さんもいましたけど、それでも足りない。仕方ないので「オスカル」時代にひいきにしてくれた女性たちがプレゼントしてくれた洋服とか時計を質屋に持っていって売ったりしていました。金のネックレスは5万円くらいになりましたっけ(笑い)。

 笑って言ってますけど、心苦しかったですよ、ほんと。幸い「オスカル」がつぶれた後、半年くらいで六本木の「バナナパワー」というショーパブのステージに立つようになり、月20万~30万円稼げるようになった。

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