食糧費問題・新型コロナ乗り越え…“川反”の老舗バー60周年 「ゴールはない」命続く限り客と共に 秋田 (24/02/09 21:30)

さて秋田市のシバーがオープン60周年を 迎えました2代目として長年川端の歴史を 見つめてきた男性にこの町そして未の思い を聞きまし た秋田市大町の通称川端の一角に店を 構える バーディ1964 年 草島さんが業しました店の名前は女性客も たくさん足を運んでくれるようにと願いを 込め創業と同じ年に公開された映画マイ フェアレディから名付けられまし た現在店を切り盛りするのは2代目の 長一 して入ったんですけもちゃん向いてるんだ けどなっていう言葉がずっと忘れられなく て1年そのえっと他の会社で勤務させて いただいたんですけれども思い切ってこの 世界に飛び込みまし た80歳を過ぎるまで店に立ち続けた仙台 の中島さんから社会人そしてバーテンダー としてのを叩き込まれ た およそ30年川の町を見つめてきまし たこの30年って本当に激動の30年だっ たんじゃないかなって振り返ってみると 改めてはい思いますねもう人で溢れ返っ てる時期ありましたけれども最初は食料費 問題ですか ね1990年代に牽制を許した食料 問題が職員の食なに使用されていたことが 次々と発覚し1997年には当時の佐々木 菊知事が辞職しまし たこの問題で法務員の飲食が激減しまし たあの時はやっぱり急激にその人の数が 減りましてあとはもう川端の中にもあの両 なんかたくさんあったんですけどみんな なくなっちゃいましたね [音楽] それ以上にショックだったというのが新型 コロナウイルスの流行 ですレディは川端の他の飲食店と同様店を 開けても客が来ないという日が続き売上が 大きく落ち込みまし たこの先どうしたらいいんだろうとかえ 全くそのあの改善策というか対応の処置が できなかったので本当に困りましたねね そういう中でもやはりお客様がね心配して くださってあ良かった残っててよかったと かってね本当に泣いてくれるお客さんもい たのでねえそういうのをこう見せられると やっぱり何があっても残さなきゃなという 思いで頑張ってきまし た何度も苦しい時期を乗り越え今月6日に 60回目の創業記念日を迎えた

レディこの日店を訪れた馴染みの客には 長沢さんから記念のピンバッチが手渡され まし た記念すべき 日長年足を運ぶ客たちは酒が進み ますあの非常に落ち着ける空間なのであの 僕からするとやはりあの秋田でバーと言え ばここなのかなという風に思って ます多くの人たちの思い出を気持ちを込め た一杯で彩ってきた レディこれからも客と共に川端と共に歩み 続け ます通貨点ですねはいもうゴールはない ですこの仕事はこう命の続く限りではない んですけれどもねやっぱりできる限り営業 は続けていきたいなと思いますしえこれ からもやはりそうお客様と共にあの川端を 見守っていければとえそういう気持ちで おり [音楽] ます3台で通う客もいるということで歴史 の重み感じますよねえそして長沢さんが客 との繋がりが全てと何度も口にしていたの が印象的でした川端に欠かせない店として 据え長く続いていってほしいです ね

秋田市の老舗バーが、オープン60周年を迎えた。2代目として、長年にわたり川反の歴史を見つめてきた男性に、川反の街、そして店への思いを聞いた。

 秋田市大町の通称「川反」の一角に店を構えるバー「レディ」。1964年、秋田県内のバーテンダーの草分け的存在である中島康介さんが創業した。

 店の名前は「女性客もたくさん足を運んでくれるように」と願いを込め、創業と同じ年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」から名付けられた。

 現在、店を切り盛りするのは、2代目の長澤欽一さんだ。

 レディ・長澤欽一さん:
「3カ月くらいアルバイトとして店に入ったが、先代の『欽ちゃん向いてるんだけどな』という言葉がずっと忘れられなくて、1年ほかの会社で勤務したが、思い切ってこの世界に飛び込んだ」

 80歳を過ぎるまで店に立ち続けた先代の中島さんから、社会人、そしてバーテンダーとしてのいろはをたたき込まれた長澤さん。先代とともに約30年、川反の街を見つめてきた。

 レディ・長澤欽一さん:
「この30年は、本当に激動の30年だったんじゃないかと、振り返ってみると改めて思う。川反が人であふれかえっている時期があったが、最初の転機は食糧費問題ですかね」

 1990年代に秋田県政を揺るがした「食糧費問題」。公費が、県職員の飲食代などに不正使用されていたことが次々と発覚し、1997年には、当時の佐々木喜久治知事が辞職した。

 この問題で、公務員の飲食が激減した。

 レディ・長澤欽一さん:
「あの時は急激に人の数が減って、川反の中にも料亭がたくさんあったが、みんななくなってしまった」

 それ以上にショックだったというのが、新型コロナウイルスの流行だ。

 レディは、川反のほかの飲食店と同様、店を開けても客が来ないという日が続き、売り上げが大きく落ち込んだ。

 レディ・長澤欽一さん:
「この先どうしたらいいんだろうとか、まったく改善策や対応ができなかったので本当に困った。そういう中でも客が心配してくれて『残っていてよかった』と泣いてくれる客もいた。そういうのを見せられると『何があっても残さなきゃな』という思いで頑張ってきた」

 何度も苦しい時期を乗り越え、2月6日に60回目の創業記念日を迎えたレディ。この日、店を訪れたなじみの客には、長澤さんから記念のピンバッジが手渡された。

 記念すべき日、長年足を運ぶ客たちは酒が進む。

 常連客:
「非常に落ち着ける空間なので、僕からすると秋田でバーといえばここだと思っている」

 多くの人たちの思い出を、気持ちを込めた一杯で彩ってきたレディ。これからも客と共に、川反と共に歩み続ける。

 レディ・長澤欽一さん:
「60年は通過点ですね。ゴールはないです、この仕事は。命が続く限りではないが、できる限り営業を続けていきたいし、これからも客と共に川反を見守っていきたい」