1985年2月7日黒澤フィルムスタジオ一の城セット撮影最終日。『椿三十郎』を思わせる血糊の噴射テストも行われる。血の噴射角度が監督の指示通りにはなかなか決まらない。次郎の股の開き方と血の噴射位置の修正が繰り返される。
1985年2月7日黒澤フィルムスタジオセット撮影。黒澤監督はCカメラの中井朝一さんにアングルをもっと高くするように指示をする。Aカメラ(斎藤孝雄さん)のアングルに合わせて鉄の位置と刀の軌道を何度も指導するが、なかなか上手くいかないで苦労する。
1985年2月4日黒澤フィルムスタジオ・一の城楓の方の部屋セット撮影。次郎軍が陣を強いて三郎軍と対峙した後のシーン。三郎が狂った父秀虎を引き取るという。黒澤監督夫人がお亡くなりになった直後に再開されたリハーサル風景。
映画『椿三十郎』ラストの決闘シーンを思い出す血しぶきがここでも登場する。1発OKしか許されないシーンで要の井川さんが二の足を踏む。それには1985年1月黒澤フィルムスタジオの深い事情があった。その真相をtokyowebtv河村光彦が解説します。チャンネル登録と高評価もよろしくお願い致します。
この「青春の殺人者」と三億円事件をモチーフにした沢田研二主演「太陽を盗んだ男」の二作品しか撮っていない長谷川和彦。今は74歳か。でも、もう一作でもとってほしい!室井滋とは、今でも仲良くやっているのかしら…