ジューンアド・カーン氏は2025年、共同創業者もベンチャーキャピタルからの資金もない状態で、自身のAIスタートアップ「Treasury」の立ち上げに専念するため、マイクロソフトを退社した。Junead Khan
この本人談の記事は、シアトルで起業した25歳のジューンアド・カーン氏との会話に基づいている。彼は2025年にスタートアップのトレジャリー(Treasury)に専念するため退職するまで、マイクロソフトで働いていた。以下は、長さとわかりやすさを考慮して編集したものだ。
2023年に正社員として初めて入社したとき、マイクロソフトでは本当に良い経験をした。
大学を卒業して初めての仕事で、入社したのはまさにAIブームの真っただ中だった。世界各地のデータセンターの展開に携わった。素晴らしい機会だった。
その後、マイクロソフトでは何度かサービス障害が起き、2025年初めごろには、セキュリティとサービスの安定性がより重視されるようになった。ものをリリースするまでのスピードが遅くなったように感じた。それによって、仕事の楽しさが少しずつ失われていった。
同時に、新しいAIコーディングツールが次々と登場するのを目にしていた。それらを試してみたかったし、もっと早く使えるようになりたかった。
マイクロソフトでの収入はとても良く、2024年には株式とボーナスを含めて20万ドル(約3200万円)以上を稼いだ。しかし、学びたいと思っていたAIのスキルをすべて身につけられているとは感じられなかった。
会社を辞めて、副業として取り組んでいたAIスタートアップに本腰を入れることを、より真剣に考えるようになった。
それでも、すぐに辞める覚悟はできていなかった。
フルタイムの仕事のかたわらでスタートアップを立ち上げた
事業のアイデアを思いついたのは、大学4年生のときだった。
私はイギリスで生まれ育ったが、2019年にアメリカに渡り、ノースカロライナ大学でコンピューターサイエンスの学士号取得を目指した。両国で管理しなければならないお金があり、既存の金融ツールは自分にはうまく機能していないと感じていた。
ちょうど同じころ、AIモデルの性能が大きく向上していた。そこで、ファイナンシャル・アドバイザーを利用できなかったり、年間数千ドル(数十万円)を払いたくなかったりする一般の人向けに、この技術を使ってファイナンシャル・アドバイザーのようなツールを作れないかと考え始めた。
そこで、大学を卒業してから、その年の夏の後半にマイクロソフトで働き始めるまでのあいだに、私が「AIマネーコーチ」と呼んでいるトレジャリーの開発を始めた。
その後の約2年間は、本業のかたわら、夜や週末にこの事業に取り組んだ。やがて、マイクロソフトを辞めることを真剣に考えるようになった。
退職前に、マイクロソフトの株式とボーナスを待った
2025年、Yコンビネーター(Y Combinator)を含むいくつかのスタートアップ・アクセラレーターに応募した。採択されたらマイクロソフトを辞め、トレジャリーにフルタイムで取り組むつもりだった。
しかし、採択されなかった。
そのとき、トレジャリーに全力を注ぐ許可を誰かが与えてくれるのを待つのはやめようと決めた。そこで、マイクロソフトで稼いだお金を、自分自身のシード資金だと考えるようにした。
ジューンアド・カーン氏は、AIコーディングツールのおかげで、マイクロソフトを辞めて共同創業者なしで自分のスタートアップを立ち上げる自信が持てたと語った。Junead Khan
辞めるタイミングについても戦略的に考えたかった。保有株式の一部の権利が確定するまで、そして入社時ボーナスの一部を返還しなくて済むだけの期間をマイクロソフトで過ごすまで待った。
2025年8月、マイクロソフトで約2年働いたあとに退職し、その2カ月後に正式に会社を立ち上げた。
良いときも悪いときも発信して、オーディエンスを築いた
マイクロソフトを辞めたとき、私は自分が開発しているものを、主にTikTokとインスタグラムでソーシャルメディアに記録し始めたが、LinkedInやXにも投稿した。
その判断には実務的な理由もあった。ベンチャーキャピタルから資金を調達せず、有料広告にもお金をかけないのであれば、人々にプロダクトを見つけてもらう別の方法を見つける必要があった。
また、AIによってソフトウェアエンジニアリングがより身近になるにつれ、パーソナルブランドとオーディエンスを持つことが自分のキャリアにとってますます重要になるとも考えた。たとえトレジャリーがうまくいかなくても、自分の歩みを記録しておけば、いつか別の仕事を探すことになったときに有利になるかもしれないと思った。
問題は、当時の私にはソーシャルメディアのフォロワーがほとんどいなかったことだが、どこかで始めなければならなかった。
私は、良いときも悪いときも、失敗した製品ローンチさえも含めて、事業の歩みをすべてソーシャルメディアで共有し始めた。ベンチャーキャピタルからの資金なしで、1人でスタートアップを立ち上げるのが実際にどういうものかを見せたかった。