盛岡南部藩は、初代藩主南部利直の下、九戸政実の乱の先例などから、家臣の多くを処罰、追放して集権化を進め、盛岡藩の基礎を固めていった。またこの時期には、白根金山を始めとする鉱山開発から財政に恵まれ、近世的支配体制が進展する。元和元年(1615)には盛岡城を築城して城下町を形成し、盛岡藩の基礎を固めていった。

南部利直の跡は、父の死去により三男の重直が継いだ。藩政においては、盛岡城の築城工事を完成させるなど、盛岡藩の基盤固めに専念した。「十和田の大蛇」と異名された父利直の性格を受け継いだようで、苛烈な性格であったと云い、中央集権的な統治を行った。