AIアシスタント「Instinct」はこの夏、どこからともなく現れ、シリコンバレーの関係者の間で瞬く間に話題となり、25億ドル(3950億円)という驚異的な評価額で、2億5000万ドル(395億円)を調達した。Rebecca Zisser/BI
ノア・シン(Noah Shinn)氏は、大学を卒業する前から、影響力のあるAI研究の論文を発表していた。そしていま、23歳という若さで、メタ(Meta)CEOのマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏に真っ向勝負を挑んでいる。
シン氏が手がける招待制のAIアシスタント「Instinct(インスティンクト)」はこの夏、どこからともなく現れ、シリコンバレーの関係者の間で瞬く間に話題となった。そして、25億ドル(3950億円、1ドル=158円)という驚異的な評価額で、2億5000万ドル(395億円)を調達した。

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「AI界の神童」の評判を水面下で築いてきた
この大ブレイクにより、大学中退者のシン氏は、AI業界で最も注目される若手起業家の一人となった。しかも、彼の小さなスタートアップ「スピア・ストリート・テクノロジー(Spear Street Technology)」は、同じく大学中退者のザッカーバーグ氏が立ち上げた企業、メタ(Meta)と真っ向から競合することになった。
シン氏は2023年にノースイースタン大学(Northeastern University)を中退。以来、水面下で「AI界の神童」としての評判を築いてきた。
彼は学部生のころから、ユーザーに代わってタスクをこなすAIエージェント(まさにInstinctが担う領域だ)に関する高度な研究論文を発表し続けており、その意欲と自主性で教授陣の注目を集めていた。また、熱心なバスケットボール選手だった時代に培われた負けん気の強さも持ち合わせており、報道によれば、彼の出資者にライバルのスタートアップへの支援をやめさせたほどだという。
Instinctの急成長は、AI競争が新たな局面に入ったことを象徴している。どの企業が最も賢いチャットボットを作れるかを競ってきたこの数年間を経て、戦いの軸は、ホテルの予約や会議の日程調整、日常の雑務の処理といったタスクを、最小限の指示で実際にやり遂げてくれるアシスタントへと移っているのだ。
メタをはじめとする巨大テック企業は、資金力、コンピューティング資源、そしてユーザーに製品を届ける流通力において圧倒的に優位な立場にいる。それでも、シン氏の予想外の躍進は、的を射たプロダクトさえあれば、小さなスタートアップでも短期間でビッグテックと渡り合えることを示している。
シン氏は取材依頼に応じなかったが、Instinctの広報担当者は経歴に関するいくつかの事実関係を認めた。
学部生時代に先駆的なAI論文を執筆
2022年11月にChatGPTが公開されてから数週間後、当時ノースイースタン大学の学部生だったシン氏は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のアシュウィン・ゴピナス(Ashwin Gopinath)教授のリンクトイン(LinkedIn)投稿に応じた。ゴピナス教授は、休暇中にこの新しいテクノロジーを試してくれる学生を探していたのだ。
ゴピナス氏によると、クリスマス休暇中に「ちょっと退屈していた」ところ、あるアイデアを思いついたという。それから3カ月かけて、ゴピナス氏とシン氏、ほか4人は、当時まだ黎明期の技術だった「AIエージェント」が自ら失敗からより深く学べるようにする方法について論じた論文を書き上げた。
論文の核心は、エージェントは過去の失敗を記憶することで自らを改善できる、という考え方だった。その後、自身のAIスタートアップ、セントラ(Sentra)を立ち上げたゴピナス教授は、Instinctがまるで「魔法」のように感じられる理由も、これに似たアプローチから生まれているのではないかと考えている。
この論文は、世界で最も権威あるAI学会の一つ「NeurIPS」で発表され、AIエージェントが外の世界とのやり取りから学習するための「Reflexion」と呼ばれる基本的な手法を示した。
「その後、多くの人がこの手法を自分流に作り替えてきたが、基本的な技術はオープンAI(OpenAI)のGPT-4登場前の2023年に、大学2年生が書いた論文ですでに示されている」
Business Insiderにそう語ったのは、ノースイースタン大学でシン氏を教えたコンピュータサイエンスの教授の一人、アルジュン・グハ(Arjun Guha)氏だ。
「学部生のうちに研究論文を書ける学生は、事実上ゼロに等しい。誰の手も借りずにやり遂げられる学生となれば、さらに少ない」とグハ氏は指摘する。
ノースイースタン大学の別のコンピュータサイエンス教授、スティーブン・ホルツェン(Steven Holtzen)氏はBusiness Insiderに対し、シン氏は自ら発言するより人の話に耳を傾けることを好む物静かな学生だったと振り返った。
彼の記憶では、シン氏は非常に注意深い学生で、細かな質問をびっしり書き込んだメールを深夜に送ってくることもあったという。
ホルツェン氏は推薦状の中で、シン氏について「計り知れない意欲と自立心を備え、ほとんど指導を受けなくても、自ら研究課題を見つけ出し、実行に移す能力がある」と書いている。
シン氏の歩みとアンチトレンド戦略
シン氏はサンフランシスコのベイエリアで育ち、サンノゼの私立高校に通った。そこで彼はクロスカントリーの選手として走り、バスケットボール部でもプレーしていた。
その後ノースイースタン大学に進学したが、2023年に中退してAIスタートアップのシエラ(Sierra)の初期社員の一人となったと、Instinctの広報担当者は説明している。
サンフランシスコに拠点を置くシエラは、カスタマーサポート用のAIエージェントを開発している企業で、率いるのはオープンAIの会長、ブレット・テイラー(Bret Taylor)氏だ。シン氏はAI研究者として、シエラの主力製品の大半に携わり、テイラー氏本人から高い評価を受けた。
「ノアは信じられないほど優れたエンジニアであり、起業家だ。彼と一緒に働く機会を得られたことに、心から感謝している」と、テイラー氏はBusiness Insiderに語った。
シン氏はその後も、エージェントが指示に従い、ツールを使い、コードを書く能力を高めることに焦点を当てたAI論文を共同執筆し続けた。2025年9月にはシエラを離れ、Instinctの開発に取り組み始めた。そして2026年夏、Instinctをソフトローンチ(限定的な先行公開)した。
Instinctは、ごく簡素なウェブサイトを用意しただけで、ローンチ動画もなかった。スタートアップが派手で洗練された動画とともに華々しくデビューする昨今のトレンドに、あえて背を向けた形だ。
誰もがInstinctを自慢し始めた
シン氏はまだ初期の段階で、Instinctをベンチャーキャピタリスト(VC)だけに招待制で提供した。これは「見事な」アイデアだったと語るのは、シックス・ポイント・ベンチャーズ(Six Point Ventures)の共同創業者トレース・コーエン(Trace Cohen)氏だ。VCの面々は、自分たちの仕事を肩代わりしてくれるクールな新しいAIエージェントについて、SNS上で自慢し始めたのだ。
「どのグループチャットを見ても、誰もが『この新しいテクノロジーをいま使ったけど、OMG(ヤバい)』と投稿している」と、コーエン氏は明かした。
「誰もがアクセス権を求めて、しつこくねだり合っている状態だ」
8月26日、シン氏はXに初めて投稿し、食料品の購入からサブスクリプションの解約まで、初期ユーザーがInstinctで行っているあらゆることに心を躍らせていると綴った。そして同じ日、彼は自社が評価額25億ドル(3950億円)で2億5000万ドル(395億円)の資金を確保したと発表したのだ。彼はそれ以前にも1億ドル(158億円)を調達していた。