撮影/タナカヨシトモ(人物)
AIの普及が加速する一方で、「AIによって職が奪われるのではないか」という懸念も高まっています。AIブームの震源地である米国では、AIによる労働の代替は進んでいるのでしょうか。米国野村證券シニア・エコノミストの雨宮愛知がミクロとマクロデータを紐解きながら解説します。
米国で高まるAI失業への懸念
雨宮シニア・エコノミストが所属する米国経済や金融政策を担当するチームで、AI失業に関連したレポートを出されたそうですね。そもそも、どういう経緯でこのテーマを取り上げたのですか。
AI失業については、米国では日本よりも深刻に受け止められていると考えています。特に米国の若者の間では、「AIに仕事を奪われる」ことへの恐怖が大きいでしょう。Google検索の関心度から分析したサーベイ(聞き取り調査)の状況をみても、AIによる失職への懸念が高まっていることがうかがえます。
2つの質問に対する検索関心度の時系列平均
(注)数値は、対象期間におけるチャート上の最大値に対する相対的な検索の関心度(インタレスト)を示しています。100 はその期間における検索数のピークを表し、50 はその半分を表します。0 は十分なデータがなかったことを示しています。
(出所)Googleアナリティクスより米国野村證券作成
AIに対する恐怖や不安が高まっている中で、心理的な印象ではなく、実際にAIが人の仕事を代替し、労働市場に影響が出ているのかという問題意識から、様々なデータをもとに分析を試みました。
足元では、AIの雇用への影響は出始めているのでしょうか。
まず、ミクロ(詳細)データからみていきましょう。最近の大卒者の失業率、とりわけAIの影響を受けやすい分野を専攻していた者の失業率が小幅上昇しています。
最近の大卒者の失業率がこのところ上昇している
(出所)ニューヨーク連銀、米労働省、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
加えて、AIは一部のセクターの雇用に影響しているようです。AI導入の初期的な兆候として、フリーランス需要が急激に落ち込み、電話コールセンターなどの一部の小規模なセクターの雇用が急減しています。
電話コールセンターなどのセクターの雇用は、生成AIや仮想エージェントによって急減している
(出所)米労働省、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
このようにAIがごく一部の雇用や産業に影響し始めていることがうかがえます。
データからみえてきた企業の「AIウォッシング」
次に、マクロのデータをみていきましょう。雇用者を削減する理由としてAIを指摘する企業が多いですが、AI活用度が高い企業ほどその傾向が強ければ、AIとレイオフ(一時解雇)が関係していると言えるでしょう。そこでAIの影響を分析するために、セクター別のAIの影響度を大・中・小の3グループに分類し、比較してみましょう。「影響大」のグループには、情報や金融・保険セクター、「影響小」には運輸・倉庫、宿泊・飲食サービスなどが含まれます。
米商務省センサス局「ビジネス動向と見通し調査(BTOS)」による全産業のAI活用度
(出所)米商務省センサス局、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
生成AIのChatGPTが発表された2022年以降のレイオフの発表は、「影響大」(下記図表、緑線)のグループのみで目立っているわけではなく、3つのグループでそれほど大きなばらつきがあるようには見受けられません。AIの影響を受けやすいセクターに集中しているわけではないことが分かります。
チャレンジャー、グレイ&クリスマス社がまとめているアナウンスされたレイオフ数
(出所)チャレンジャー、グレイ&クリスマス、米商務省センサス局、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
総合的にみると、これは企業が通常の離職をAIの影響と一括りにする「AIウォッシング」を示しているとみられます。雇用動態調査(JOLTS)のデータによれば、レイオフが最もAIの影響を受けるセクターに特段集中しているわけではないことが分かります(また、これらのセクターの雇用はAI導入が加速し始める以前から基調が緩やかだったとみられ、足元のレイオフ数がChatGPTのローンチ以前のレイオフ数を基調的に上回っているわけではありません)。
雇用動態調査(JOLTS)によるレイオフ数
(出所)米労働省、米商務省センサス局、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
採用面でAIによる代替を示す手掛かりはあるか
リストラ以外でも、新規採用数の縮小や欠員補充の見送りなど採用面では、AIの影響は表れていないのでしょうか。
雇用の伸びは堅調を維持しています。現に、最もAIの影響を受けやすいセクターの雇用の伸びは、コロナ禍以降、影響を受けにくいセクターを上回っており、AIが大規模な雇用代替を引き起こしているとの見方を否定しています。また、ソフトウェア企業はAIに関する事例として最も頻繁に取り上げられるセクターに入りますが、足元では雇用が増加しています。採用の減速が相対的に大きいことを示す兆候もほとんどありません。
非農業部門民間雇用者数
(出所)米労働省、米商務省センサス局、ヘイバー・アナリティクスより米国野村證券作成
むしろ、求人件数は最もAIの影響を受けやすい業種で高止まりしています。たとえば、Indeed(大手求人サイト)求人件数をみると、コード支援プラットフォームが急速に進歩し、導入されているにもかかわらず、ソフトウェア開発企業の求人件数は増加しています。
労働需要、とりわけ求人件数やレイオフの発表を通じ、わずかに影響が出始めているかもしれませんが、全体として、労働市場関連指標は、大規模な雇用代替ではなく、緩やかな雇用の再配置を示しています。
FRBはAI失業よりも、インフレリスクを重視すると予想
ここまで、データをもとにAIの労働市場への影響についてみてきました。ミクロレベルではごく一部の雇用や産業への影響もみられますが、足元のマクロデータは、AIの影響が限定的であることを示していることが分かりました。
歴史的には、技術の進歩は経済成長と労働市場にとってプラス要因です。例えば、過去に蒸気機関が生まれたことで、馬車を運転する「御者」の人たちは職を失ったと思いますが、一方で鉄道が普及したことで移動コストが下がり、駅を通じて多くの人が移動するようになると、新たな需要が生まれました。このようにテクノロジーの急速な進展は需要を高め、事業を創出し、新たな役割を生み、時間の経過とともに雇用を拡大させる傾向があります。
また、AIの能力が均一でなく、得意な分野と苦手な分野の落差が激しいこと、複数のタスクを組み合わせた業務を遂行することがAIは苦手なこと、などの技術的な限界から、AIが大規模に雇用を減らすことにはならないのではないか、という見方もあります。
AIが今後どのような影響を労働市場にもたらすのかは不確実ですが、少なくともこれまでのところは上記のような比較的楽観的な見方に沿ったものだと考えられます。
現時点ではAIによる大規模な失業につながるような兆候は確認できておらず、景気に悪影響を与える可能性は低いのですね。AIが雇用に与える影響が限定的の場合、金融政策見通しにはどのように影響するのでしょうか。
FRB(米連邦準備理事会)のケビン・ウォーシュ議長が就任後に立ち上げた5つの作業部会(タスクフォース)の中で、「生産性と雇用」を目的とするものを設置しました。AIが労働者にどう影響を与えるかが念頭にあるわけですが、これまでの発言から判断すると、ウォーシュ議長自身はAIの長期的な労働市場への影響を概ね前向きに捉えています。 それでも、AIが生産性、インフレ、中立金利(景気を加速も減速もさせない政策金利の水準)に与える意味合いについては見方が分かれています。これまでのところ、労働市場への打撃を示す材料はほとんどないため、政策当局はAIに起因する失業よりも、引き続きインフレリスクを重視すると予想します。

米国野村證券 シニア・エコノミスト
雨宮 愛知
2001年野村総合研究所入社。2004年より野村證券金融経済研究所経済調査部。2009年より米国野村證券(ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナル)に勤務。
※本記事は、投資判断の参考となる情報の提供を目的としており、投資勧誘を目的として作成したものではございません。また、将来の投資成果を示唆または保証するものでもございません。銘柄の選択、投資の最終決定はご自身のご判断で行ってください。