
[図1]人間とAIが相互連携して、ノーベル賞級の科学的成果を量産する時代が到来しつつある
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
数々の科学的発見と技術の発明は、人類が豊かさと繁栄を得る上での原動力となってきた。この点を疑う人はいないのではないか。80億人を超える人口を養う食糧を獲得し、人々の活動を支えるエネルギーを利用できたのも、寿命が100年に迫るまでに延びたのも、世界中をネットでつなぎ、自由に行き来できるようになったのも科学技術の発達があればこそだ。そして現在、人々の意思疎通を阻み、紛争の種や様々な格差を生み出す要因の一つとなっていた言語の壁すら、技術の進歩によってなくなろうとしている。AI for Scienceは、こうした人類の強みを拡張・加速する手段となると期待されている。
AI for Scienceとは
AI for Scienceとは、AIを用いて科学研究(仮説生成・実験・解析・発見)を加速・高度化する研究パラダイムのことである。既存の研究開発データから物理法則を抽出したり、膨大なデータから法則性を見出したりする「データ駆動型科学」をAIで加速する取り組みだ。研究開発プロセス中の特定作業や解析・洞察の支援ツールとしてAIを使うだけでなく、科学的発見・発明の成果を得るためのプロセス全体をAIで変革するものである。
従来の科学研究では、おおよそ以下のようなプロセスを経て進められていた。仮説を立て、シミュレーションや実験を行って検証し、収集したデータを解析し洞察して、新しい理論の発見や技術の発明といった成果を得る。AI for Scienceでは、AIを活用してこの科学研究のサイクル自体を高度化・加速し、研究者の作業や意思決定を支援する(図2)。

[図2]科学研究の一連のプロセス全体にAIが関与し、プロセスループの回転を加速
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
AI企業のCEOがノーベル化学賞を受賞した衝撃
既にAI for Scienceによる研究開発の新時代が到来していることを明確に示す、先駆的かつ典型的な成果が出てきている。
2024年のノーベル化学賞は、ワシントン大学のデビッド・ベーカー氏、Google DeepMind(英国)のデミス・ハサビス氏とジョン M. ジャンパー氏に贈られた(図3)。受賞対象となった成果は、AIと計算科学を活用してタンパク質の構造を予測・設計可能にしたというものだった。Google DeepMindは、AIを開発している米国のAlphabet(Googleの持株会社)の子会社であり、ハサビス氏は、そのCEOである。
2017年に囲碁のプロ棋士を破って話題となったAI「AlphaGo」の開発者としても知られている。そうした立場にある同氏がノーベル化学賞という明らかに畑違いに思える領域の最高栄誉を受けたという事実は、科学技術の研究開発において、これまでとは異質な変革が起きていることを如実に示している。

[図3]AI研究者がノーベル化学賞を受賞する時代になった
授賞式の様子(左)、左からワシントン大学のデビッド・ベーカー氏、英Google DeepMindのデミス・ハサビス氏、ジョン M. ジャンパー氏。AIで予測・設計が可能になった複雑な分子構造のタンパク質(右)
出典:ノーベル財団
受賞理由となった研究では、Google DeepMindが開発したAI「AlphaFold」を利用して約50年にわたり未解決問題だった「タンパク質の折りたたみ問題(タンパク質の配列から構造を予測する問題)」を解決した。従来数カ月〜数年要していた複雑な3次元構造を持つタンパク質の構造予測をAIで高精度予測できるようにした目覚ましい成果だ。これによって、新しい酵素、ワクチンなど医薬品候補となるタンパク質、バイオ材料などの設計・開発を加速できるようになった。そして現在では、AlphaFoldは、この領域の研究開発において190カ国、約200万人の研究者が利用する標準ツールと呼べる状況にまで普及。活用して得られた成果は論文にまとめられているものだけで、3万5000本(2025年12月時点)以上にも及ぶ。
AI業界においても、AI for Scienceはディープラーニング、生成AIに次ぐ、AI活用の巨大トレンドとみなす声が聞かれるようになった。そして、科学技術の研究開発の手法とあり方を一変させる歴史的転換点となり、産業競争力から地政学的勢力図などまで多方面に絶大な影響を及ぼす「ゲームチェンジ」が起きるとみる意見さえある。
研究開発サイクルを10倍〜100倍の速度で回す
科学技術の研究開発は、人間が行う活用の中でも、とりわけ知的創造性が要求される領域であると言えよう。これまでにも、研究開発では、自然現象をコンピュータ上で再現し、実験や試作を効率化するデジタル技術などが活用されていた(図4)。コンピュータは科学技術の研究開発に欠かせないツールであり続けてきたのだ。ただし、あくまでも研究者や開発者の作業・解析・洞察を支援する役割での利用にとどまっており、研究者の仕事を丸ごと代替できるものではなかった。研究開発のアイデア出しや検証・解析のアプローチや手法の策定、洞察の視点探究といった人間の創造性に関わる仕事に直接関与しているわけではない。

[図4]従来の研究開発とAI for Scienceに基づく研究開発の比較
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
AI for Scienceでは単なる作業支援ではなく、研究者や開発者と同等の役割を担うパートナーとしてAIを活用する。これによって、研究開発を加速し、創造性を拡張することを目的とした研究パラダイムである。活用法と適用範囲が、従来のデジタルツールとは全く異なる。AI for Scienceを適用することで、研究開発のサイクルは従来比で10倍〜100倍速くなり、属人的専門性や学会や業界の研究開発トレンドにとらわれない斬新な研究開発の成果を数多く得られるようになると期待されている。
AI活用で、なぜ研究開発の加速・拡張が可能なのか
ではなぜAIをフル活用することによって研究開発が加速し、従来手法では得られなかった成果が得られるようになるのか。明確な理由がある。
まず、AIを活用すれば、研究開発の過程で得られた多様かつ大量のデータをまるっと学習することで、それらのデータに内在する傾向を基に、研究対象となる自然現象を理解するための仮説を立てることができる(図5)。一般に、研究者や開発者は、自らが学習・経験して得た知見や学会の論文、企業内のレポートなどに記された情報を背景として、実験や試作、シミュレーションなどで収集したデータを解析・洞察して、起きている現象を理解する。こうして立てられる仮説の精度や確度、切り口の斬新さは、研究者の知見の広さや経験の豊富さ、さらにはセンスなど属人的要素に依存する。加えて、どんなに優秀な研究者であっても、人間である以上、保有している知見の量や多様さ、理解の深さには自ずと限りがある。このため多くの場合、目配りする情報やデータの専門性の選択と集中を図ることで、理解を深めていく戦略を取ることになる。

[図5]AIを活用して人間の認知能力を拡張
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
これに対しAIは、演算能力の許す限り、大量かつ多様なデータを学習することが可能だ。人間一人では読み下せないほど大量のデータを学習できる。学習スピードも、人間とは比べ物にならないほど速い。しかも場合によっては、対象外の異分野のデータや、論文やレポートなどには記載されない失敗した実験や試作のデータの情報を学習することも可能になる。さらに老いることなく、知見を蓄え、判断力を磨き続けることや、世界各地の研究開発拠点の複数AIをリアルタイム連携させて知見を広げていくことが可能な点も人間にはない特徴だ。
ノーベル賞級の科学的成果を得た研究者が、斬新な洞察・発見ができた理由を振り返る報道記事を読んだり、講演を聞いたりした人もいることだろう。こうした中には、他分野で常識的に扱われている手法や解釈法に触発されたという話や、実験に失敗して偶然得たデータを捨て去ることなく調べて新発見に至ったという話が驚くほど多い。AIならば、研究者が人間であるが故に限定されがちな知識や発想の範囲を拡大し、これまでならば混じり合うことがなかった異分野の知識を共有し、私蔵され日の目を見なかった大発見につながる“宝のような情報”を効率的に発掘できる。
もちろん、AIは学習した範囲でしか仮定策定や洞察ができない。このため、まったく新規のアイデアを捻り出す能力を持つ人間には及ばない面がある。また、AIは起きている現象を理解するための仮説をたくさん立てることはできるが、最終的に一つに絞り込むことができない。一般に、AIは出した答えの根拠に関して説明することができないブラックボックスであり、なおかつ出す答えも確率論的に確からしいものになるからだ。このため、AIだけでは研究開発のプロセスを完結させることができず、人とAIが役割分担する必要がある(図6)。AIと人間が共にパートナーとなって研究開発に携わって初めて、成果の質を劇的に高めることができる。こうしたAIを活用した新たな知見の探究は、既に将棋や囲碁のプロ棋士が行っており、人間ではとても思い付かないような手を探究するための手段として利用するようになった。

[図6]人間とAIは知性の質が異なる、協働することで研究開発を加速・拡張
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
AIが24時間365日、疲れ知らずで安定的に稼働できる点も、AI for Scienceの見逃せない利点だ。さらに、AIでロボットなどの自動化機械を自律的に管理・制御すれば、実験や試作の自動化が可能になり、研究者が寝ている間に大量の実験をこなし、洞察すべき情報を収集しておくことができるようになる。
科学技術の発展史の大きな変曲点となる「AI for Science」
現在進行中の新潮流であるAI for Scienceを科学技術の発展史の中で位置付けてみたい(図7)。結論から言えば、後世から「AI以前・AI以後」と語られるほどの大きな変曲点となる可能性がある。

[図7]AI for Scienceは、科学史上の大きな変曲点
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
歴史家や研究者の見方を総合すると、人類史の中では、科学技術の発展の節目となった出来事が大きく8回あったとされている。
1.農業革命(約1万2000年前):定住社会と文明の基盤を作った。
2.古代科学の誕生(古代ギリシャ時代):数学など抽象的表現手段を駆使して自然現象を論理的に説明する手法が確立された。
3.印刷革命(15世紀):科学技術の知識を爆発的に拡散させ、その発展・活用を大規模化する素地を作った。
4.ルネッサンス(16〜17世紀):人の主観に捉われることなく、客観的見地から自然界で起きている現象を解釈する手法が確立された。
5.産業革命(18〜19世紀):科学技術を活用して大規模産業を創出し、社会に大きな影響を及ぼす仕組みと方法論を確立した。
6.電気・通信革命(19〜20世紀):社会の動力源であるエネルギーや情報の形を一新させて、より柔軟で効果的な管理・活用を可能にした。
7.原子力・宇宙時代(20世紀):マクロとミクロそれぞれの方向に、科学的な知見と技術活用の手法を拡張し、科学技術の効果そのものをスケールアップした。
8.デジタル革命(20世紀後半〜現在):コンピュータとデジタルネットワークによって多様な情報の統合と大規模処理を可能にし、分野・情報種別・地域の差を超えた知識の共有・活用を可能にした。
そして、現在進行中の「AI革命」は、9番目の構造的変化となることが確実視されている。人間とは異質な特徴を持つ別の知性をパートナーとすることによって、科学技術の発展を拡張・加速できると考えられているからだ。
AI応用の中では、生成AIに続くビッグインパクト
現時点でのAIは、生成AIの応用拡大が、イラストや動画の制作、事務・法律・経理・調査などの業務、対人業務、さらにはソフトウェア開発の領域などで進むフェーズにある。AI for Scienceは、それに続く次フェーズの動きであり、創造的業務の極致であり、経済、社会、生活にも大きな変化をもたらす科学技術の研究開発の領域でもAIのフル活用が始まることを意味している。
生成AIの活用によって多様な業務の効率化や新たな価値創造が急速に進んでいるのと同様に、AI for Scienceの潮流に沿って、これまでの研究開発手法では得られなかったインパクトのある成果が得られると思われている。期待される影響力の大きさから、既にビッグテック(GoogleやMicrosoftなど)、研究機関、製薬・材料などの企業、さらには自国の国力強化を目指す国家による政府主導のプロジェクトが始められるようになった。
技術覇権維持を賭けて米国が取り組む「ジェネシス・ミッション」
2025年11月、「ジェネシス・ミッション(Genesis Mission)」と呼ばれる、AI for Scienceに沿った研究開発のインフラ整備を推し進める国家プロジェクトが米国で始まった(図8)。国内の科学者と技術者を総動員して行った、原子爆弾の開発を進めた1942〜46年の「マンハッタン計画(Manhattan Project)」、月面有人着陸を目指した1960〜70年代の「アポロ計画(Apollo Program)」と並ぶインパクトを生み出すと目される野心的な取り組みだ。科学技術の領域での自国競争力を底上げし、ノーベル賞級の科学的成果を量産し、技術覇権の維持と国家安全保障体制を強化することを目指している。

[図8]米国が技術覇権の維持を賭けて取り組む国家プロジェクト「ジェネシス・ミッション」
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
過去に実施されたマンハッタン計画とアポロ計画の中で開発された技術の中には、その後民間転用されて、新たな産業の育成につながったものが多い。代表的なものだけでも以下のようなものがある。マンハッタン計画では、原子力発電、核医学、放射線計測技術、高純度金属・特殊合金、コンピュータを使った計算科学、国立研究所のシステム。アポロ計画では、半導体集積回路、ソフトウェア、小型電子機器、断熱材、水処理、医療センサー、食品保存技術などが、その後商品化や技術応用された。新時代の科学技術の研究開発基盤を構築するジェネシス・ミッションでは、当初から多様な適用分野が想定されている。米国政府は、核融合、新素材、半導体、バイオ、量子コンピュータ、先端製造などを優先的に適用する研究開発分野として挙げている。
AIと人間が役割分担しながら研究開発
ジェネシス・ミッションとは、以下の要素で構成する「AI科学者プラットフォーム(AI scientist platform)」と呼ぶ次世代の科学研究基盤を確立する計画である(図9)。

[図9]ジェネシス・ミッションで構築する「AI科学者プラットフォーム」
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「NotebookLM」を利用)
まず、①スーパーコンピュータ。米国エネルギー省(DOE)の17の国立研究所が保有するスーパーコンピュータを統合して、一括的に管理・運用する。②国内の研究所などで数十年にわたって収集した莫大な科学データの統合。医療、材料科学、エネルギー、宇宙、気候などの研究データをAIの学習データとして使う。③研究者や開発者のパートナーとなる「AI科学者(AI scientist)」の開発。AIが研究者のパートナーとなって、研究対象での仮説を生成し、シミュレーションの条件策定と実行、実験の設計、データ解析を行う。④「自律研究ループ(Closed-loop science)」。AIによる仮説策定、シミュレーションの実施、自動化した実験の実施、AIによる解析と再学習という研究開発全体のプロセスを自律的・自動的に繰り返し実行する仕組みと方法論を確立する。
AI科学者プラットフォームを新材料開発に適用する場合を想定しよう。まずAIが新材料の候補を生成し、AIの提案などを受けて決定した条件でスーパーコンピュータを使ってシミュレーションを実施。さらに実物で検証すべき条件を絞り込んでロボットを活用し自動化した実験を実施し、結果として得られたデータをAIを活用しながら解析し、さらにその結果を学習データとしてフィードバックする。これを高速で回すことで科学的発見や新材料の開発を加速させる。
AI関連企業のオールスターが集結
ジェネシス・ミッションには、米国エネルギー省管轄下の国内17の国立研究所と米国内の大学が中心となり、そこにOpenAI、Anthropic、xAI、Google、AWS、Microsoft、Oracle、NVIDIA、AMD、Intel、Dell Technology、Hewlett Packard Enterprise、Siemensといった米国におけるAI関連のオールスター企業が参画する。
運営責任者は、米国エネルギー省の科学・イノベーション担当次官であり、量子技術・AI政策を推進しているIBM上級副社長(Senior Vice President)兼IBMリサーチ部門ディレクターのDario Gil氏が担っている。同氏は、米国と連携しながら進められている日本政府の半導体産業の再興に向けて推し進めている「半導体・デジタル産業戦略(いわゆる半導体戦略)」の米国側のキーパーソンとしても知られている。
日本においても、文部科学省がAI for Scienceの推進委員会を設置し、基盤構築・人材育成・社会実装を総合的に進めていく方針である。既に、理化学研究所や産業技術総合研究所、東京大学、東京科学大学などが、AI for Scienceに沿った研究開発体制への移行を推進する取り組みを行っている。理化学研究所は、ジェネシス・ミッションに参画する米国アルゴンヌ国立研究所、富士通、NVIDIAとの間で協力関係を締結。従来型スーパーコンピュータである「富岳」とAI専用の次世代スーパーコンピュータ(コード名は「富岳NEXT」)を連携させたAI for Scienceを実践していく研究基盤を構築する計画である(図10)。

[図10]日本で構築されようとしているAI for Science向けの新たな情報基盤
出典:理化学研究所のプレスリリース
科学技術の研究開発は、完全に次のステージへと移りつつある。科学的発見や大発明は、天才たちが生み出すブレイクスルーの登場を待つ時代は終わり、計画的かつ算盤ずくで量産していく時代に突入したのかもしれない。近い将来、AIと新たな知見・スキル・センスを持つ研究者・開発者が最適連携して、これまででは考えられなかったような成果を、信じられないほど短期間で量産し続けることになりそうだ。産業、社会や生活に与える波及効果は計り知れない。
Writer
伊藤 元昭(いとう もとあき)
株式会社エンライト 代表
富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社
技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。
2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。
URL: http://www.enlight-inc.co.jp/