スティーブ・ジョブズは、苦しい時期を乗り越え、大きな成功へとアップルを導いた。スティーブ・ジョブズは苦しい時期を乗り越え、アップルを大きな成功へと導いた。Paul Chinn/The San Francisco Chronicle via Getty Imagesアップルの50年の歩みは、象徴的な製品と独自の企業文化によって形作られてきた。トニー・ファデルによるiPodやiPhoneの開発は、テック業界におけるアップルの成功を決定づけた。グレン・リードが手がけたiMovieなどの極秘プロジェクトは、厳しい時期にあったアップルの立て直しに貢献した。

アップル(Apple)は2026年3月、創業から50年を迎えた。この数十年の間に、アップルの多くのイノベーターたちは象徴的な製品を次々と生み出してきた。

その輝かしい歩みは、テクノロジー業界のあり方を変えてきた数々の重要な出来事によって彩られている。そのプロセスでアップルは革新性と秘密主義を重んじる企業文化で知られるようになっていった。

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過去にアップルの代表的なプロジェクトの中心にいた2人の元幹部、トニー・ファデル(Tony Fadell)とグレン・リード(Glenn Reid)が、このテック大手での自身の歩みを振り返った。

彼らは、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)の時代のアップルで働いた経験から、極秘の製品をめぐる高い秘密性を維持する取り組みに至るまで、創業50年を迎えた同社でリーダーとして過ごした思い出をBusiness Insiderに語ってくれた。

トニー・ファデル、初代iPodの発売とiPhoneの紛失を振り返る

現在57歳のトニー・ファデルは、2001年、アップルから新たなプロジェクトの相談を受けた。彼は当時すでにMP3プレーヤーや携帯型電子機器の開発に携わっており、アップルは、立ち上げから6カ月が経った音楽プラットフォームであるiTunesに対応する音楽再生機器の開発を担う人材を必要としていた。

2001年3月、彼はスティーブ・ジョブズや複数の幹部に対し、重さまで再現した発泡スチロール製の試作モデルを提示したが、これは後にiPodとなるものだった。その後、ファデルはiPod部門のシニアバイスプレジデントやジョブズの特別顧問として、約10年にわたりアップルで働くことになった。

iPodは、いくつかのモデルを経て成功に至った。iPodは数世代のモデルを経て成功に至った。Justin Sullivan/Getty Images

「私にとって本当に特別な瞬間は、初代iPodを完成させたときだ」とファデルは語る。

「構想から完成までわずか9カ月のプロジェクトだった。私の夢が叶った瞬間だった」

iPodは発売直後から成功したわけではなかったが、その後、アップルがWindows対応などの機能を導入したことで人気が急速に広がっていったとファデルは語る。やがてiPodは文化的な象徴となり、ファデル自身も、NBAトップ選手のシャキール・オニール(Shaquille O’Neal)のような著名人がそれを使っている姿を目にするようになったという。

iPodはiPod Nanoなど、さまざまな派生モデルの開発につながり、その中でもiPod Nanoがファデルにとって最も気に入っている製品だったという。彼は、iPod Nanoについて、小型の音楽プレーヤーであり、より持ち運びやすくなったことで「状況を一変させた」と語っている。

しかし、彼のアップルでの在職中には緊張を伴う場面もあった。ファデルは、iPhoneが一般に公開される前、自身がその端末を持つ数少ない一人だったときの出来事を振り返っている。

「まだ公開される前に、初代iPhoneを飛行機の座席でポケットから落としてしまった」とファデルはBusiness Insiderに語った。

しかし、誰もそれが何かはわからず、彼が飛行機を降りてから約40分後に手元に戻ってきた。彼は胸をなで下ろしたという。

「幸運にも、誰もそれが何かわからなかったんだ。その時は失くてしまったと思った」と彼は語る。

「あれは本当に恐ろしい瞬間だった」

秘密主義で進められたイノベーション

エンジニアリングおよびコンシューマー向けアプリケーションの元ディレクターであるグレン・リードは、アップルの動画編集ソフトiMovieや写真アプリiPhotoの開発を主導した人物だ。彼はアップルに1998年に加わる前、ネクスト・コンピューター(NeXT Computer)でジョブズとともに働いていた。

「彼は私にiMovieの開発を依頼してきた。当時のアップルは苦境にあり、存続が危ぶまれる状態だった」とリードは語る。

「アップルは再び存在感を示す必要があったんだ」

ジョブズが1996年にアップルへ復帰する前、同社は経営が悪化し、業績不振が続いていた。1997年にはジョブズが経営の主導権を取り戻し、立て直しに乗り出した。彼はその後、アップルを新たな姿へと導く数々の大きな改革を主導していくことになる。

リードによると、ジョブズの計画の一つは、新しいタイプの動画編集ソフトを開発することだった。リードは、社内のほかの部署にも知られないまま、約20人の小規模な開発チームに加わった。

iMovieはアップルのアプリケーション戦略の基盤となった。iMovieはアップルのアプリケーション戦略の基盤となった。Bloomberg/Bloomberg via Getty Images

リードは、こうした開発の進め方を「社内の海賊船プロジェクト」のような文化と表現し、1983年の会議でジョブズが語ったとされる言葉を引き合いに出した。

「海軍に入るくらいなら、海賊になったほうがましだ」とジョブズは述べたとされており、その後、アップルが開発したパーソナルコンピューター、マッキントッシュ(Macintosh)のチームのメンバーは、自らを「海賊」と呼ぶようになったと、元社員がブログで振り返っている。