映画評論 Season 2 第9回 イスラエルから見たパレスチナとの戦争 『ホールディング・リアット』

ハマスの人質となったリアット(左)とアヴィヴ ©Meridian Hill Pictures

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ 文学研究科教授

今から2年半前の2023年10月7日、イスラエル南西部にあるニールオズと名付けられたキブツ(農業共同体)が、パレスチナのガザ地区から侵入したハマス(ガザを07年から支配する、武装闘争を掲げるイスラム原理主義組織)に襲撃された。約400人いた住民の4分の1が殺害あるいは誘拐され、この事件が契機となって「2023年パレスチナ・イスラエル戦争」が始まった。本作品は、ニールオズからガザに誘拐されたリアット・ベイニン・アツィリとその夫アヴィヴを救うため、あらゆる手段を尽くし彼らを救おうとするイスラエル人家族の在り方を撮影したドキュメンタリー映画である。

交錯する価値観

本作品の強みは、戦争に対する「交錯する価値観」を視覚化している点だと言えよう。パレスチナ・イスラエル戦争が勃発して以来、イスラエルを中東最大の同盟国と見なすアメリカ政府のイスラエルへの肩入れや、ハマスとは無関係の民間人を含む7・5万人以上のパレスチナ人が殺戮されるといった一方的な戦闘に対し、世界中の多くの人々が「FREE GAZA」を唱え、イスラエルのパレスチナ攻撃に対し抗議を行ってきた。私もその1人であり、パレスチナ人に対する同情と共感は疑いのないものであった。

一方、そもそもこの戦争の発端となったニールオズでの襲撃、そして人質になった人々に関して、どれだけの情報がわれわれに報道されてきただろうか。本作品は「人質になった哀れなイスラエル人」といった一塊の人々、国家や民族の名称によってのみ特徴づけられる人々の話ではなく、リアットとアヴィヴという個々の人間の不幸な運命に対する、リアットの父・イェフダを中心とする家族の命がけの抗議を描いている。彼らの勇敢で粘り強い抗議によって、この戦争がイスラエル対パレスチナといった単純な二項対立からは理解できないことや、そこには錯綜する異なる見解や立場があることを、本作は机上の空論ではなく、目の前に存在するリアットの両親、妹、叔父、そして3人の子どもたちの存在から表現している。

ネタニヤフ政権を巡る考えの錯綜

昨年11月に公開された『ネタニヤフ調書汚職と戦争』(2024、アレクシス・ブルーム監督)というもう1つのドキュメンタリー映画があるが、残念なことに私はこの作品を見逃した。ベンヤミン・ネタニヤフの陰の部分を露呈する、いわゆる暴露バイオピックであることが公開当初から謳われていたことが、この作品への食指が動かなかった理由だと思う。しかし、今それを深く後悔している。見れば良かった。

リアットの父・イェフダは、ネタニヤフ政権に批判的であり、ネタニヤフは人質問題を優先させるのではなく、自己の投獄を免れるために戦争を引き延ばしていると忌憚なく批判を述べる。他の家族は、批判をするよりもむしろリアットたちの救出を優先すべきだと、頑なな父親に反発する。また、彼らのようにイスラエルに住む家族とは一線を画した立場から、イェフダの兄で歴史学者でもあるジョエル・ベイニンが忠告を発する。今回の戦争以前からのイスラエルという国家構造自体に注目する必要があることを、ジョエルは進言する。彼のこのような考え方は、01年にイスラム過激派テロ組織・アルカイダによって行われた、いわゆる9・11(アメリカ同時多発テロ事件)後、02年にジョエルが北米中東学会の会長に就任した際の演説の中でも明らかにされている。「アメリカがなぜ攻撃されたかは中長期的な歴史的文脈を踏まえて理解されなければならない」 のだと。異なる人々による異なる意見は考え方の錯綜を招き、全ての立ち位置に一定の正当性があるだけに、絶対的な正解や1つの方向性を導くことは不可能に思える。

本当の正義、真の人間性への道とは?

リアットは、人質としてハマスに監禁されていた間も危害を加えられることなく、結果的に家族の元へと解放される。しかし、夫であるアヴィヴは殺された。彼の死について、本作品ではほとんど語られない点が、観客には腑に落ちない。映画を見る限りにおいて、リアットがアメリカ生まれでアメリカとイスラエルの二重国籍を持つことが、大きな鍵になったことは明白だ。リアットの家族は、彼女が「アメリカ人」であることを頼みの綱とし、人質解放を求めて当時のバイデン政権に働きかけたからだ。

「アメリカ人」であるリアットは救われ、ニールオズ・キブツ生まれのイスラエル人であるアヴィヴは殺された。誰に価値があり、誰が無価値なのか。何が正しく、何が間違っているのか。本作品は、いわゆる「正義」とは何かを提示しない。しかし、愚直に真の人間性を追求し、愛する人を必死で助けようとし、生きることの意義を真摯に考えようとする人々を描いている。『ホールディング・リアット』には、彼女を取り戻せたことへの爽快感はない。むしろ複雑な政治の力に巻き込まれながら生き続ける1人の女性とその家族の姿に、真の人間性に通じる姿勢が照射されていることに私は感動を覚えた。できるだけ多くの人々に観ていただき、語り合ってもらいたい一作である。


原題 Holding Liat


監督 ブランドン・クレーマー


製作国 アメリカ


上映時間 97分


京都ではUPLINKにて2026年3月13日(金)より公開