2006年の阪急杯を報じるスポーツ報知の記事

2006年の阪急杯を報じるスポーツ報知の記事

 馬トク報知では、今年から過去の名勝負を当時の記事から振り返る【競走伝】がスタート。今回は2006年の阪急杯を取り上げる。当日は松永幹夫騎手(現在は調教師)が騎手として最終騎乗の日。引退に花を添えるブルーショットガンの激走だった。

 格好よすぎた。松永幹は4コーナーで中団馬群の中にいたブルーショットガンを直線で馬場の真ん中へ持ち出すと、最後は1番人気のコスモシンドラーとの叩き合い。わずかに制した後、左手でパートナーをポンポンと叩くと、馬上には笑顔の鞍上の姿があった。「4コーナーを引っ張り切り。もしかしたらと思ったが…」。ゴール前は「ミキオ!ミキオ!」の歓声がスタンドにこだました。

 最高のフィナーレを演出した7歳馬に、「よかった。ふつうのレースとは違うから。一番値打ちがあった」と武宏調教師。当初は使う予定のなかったG3。騎乗馬がいない松永のために用意した馬が、最高の舞台で重賞初制覇を飾った。「雨が降った時にあきらめたんだけど…。かかるところもなかったし、前がポツンとあく展開にも恵まれた」。苦手の道悪をこなし、中団のインで包まれていたはずが、4コーナー手前で併走するオレハマッテルゼが早めに仕掛けたことで、外にVロードが開けた。

 天は粋な計らいを用意していた。松永幹は続く12Rもフィールドルージュで快勝。文字通りのラストランで、史上12人目となるJRA通算1400勝の快挙を達成した。「ほんとびっくり。競馬の神様が下りてきました」。20年の騎手生活にピリオドを打った松永の顔がほころんだ。一瞬、目頭は熱くなった。だが、涙はない。最高のフィナーレを自ら演じ切った。

 86年3月のデビューから通算1万2416レース。1400勝へ挑戦した最終レースは、調教師席やジョッキーの控え室は大声援に包まれた。「できすぎです。ほんと幸せものです」。お膳立てできないくらいのシナリオに自身が驚いた。

 有明海からの潮風が懐かしい。幼稚園に通う頃、父・正信さんに連れられて行った熊本・荒尾競馬場で馬に魅せられた。「絶対に競馬のジョッキーになるんだ」。小学校の卒業文集にそう書いた少年は夢をかなえた。40勝で新人賞に輝くと、1年後輩の武豊とともに大活躍。オグリキャップが火をつけた“平成の競馬ブーム”に勢いをつけたミキオの功績は大きい。

 だれからも愛される人柄だ。「僕のために引退式やレーシングプログラムまで用意してくださった関係者の皆さんに本当に感謝したい」。引退セレモニーに残ったファン2000人が、ターフビジョンに映し出された戦後初の天覧競馬Vに再び酔いしれた。

 「きのう調整ルームで“もう、サウナに入れないんだなあ”と思った」。(引退の)10年前に調教中の落馬で左腎臓を摘出する大事故を乗り越えた。騎手クラブ関西支部長の要職を務めながら、難関の調教師試験に一発合格。「騎手と調教師は別物。しっかり勉強します」。ムチを置いた努力の男は、第2の人生へ力強く踏み出す。

 その後、松永幹は2007年に厩舎を開業。ラッキーライラックや個性派のラニ、競馬学校の同期・横山典弘とのコンビでの挑戦が話題となった26年サウジ・ネオムターフC出走のヤマニンブークリエなど、多くの活躍馬を育てている。

 ブルーショットガンは結局、重賞はこの1勝のみ。ただ、松永幹のラスト重賞を彩った馬として、ファンの胸に長く刻み込まれている。