[ニューヨーク 24日 ロイター] – ロシアによる2022年のウクライナ侵攻は、科学者のウラジーミル・アルセニエフさん(75)にとって千載一遇の好機に思えた。アルセニエフさんは戦車に乗り込む兵士が使用する通信装置の部品を製造するモスクワの企業「ボルナ中央科学研究所」を経営。ウクライナ侵攻後は防衛関連の受注が殺到した。
しかし、アルセニエフさんはロイターのインタビューに対し、この受注で苦境に追い込まれたことを明らかにした。ロシア国防省が設定した価格で受注し、猛烈なペースで生産を拡大し、厳しい納期に間に合わせなければならなかったからだ。
失敗は許されなかった。ロシア政府はソ連時代の独裁者スターリンの恐怖体制さながらに、契約義務を果たさなければ刑務所に送ると脅した。
2023年春までにアルセニエフさんの工場は生産計画に遅れが生じ、幹部同士の対立が激化していたことが主要関係者2人への取材と裁判記録から明らかになった。
少数株主のセルゲイ・モシエンコさんは、会社が納期を守れないと見て内部告発した。モシエンコさんはロイターに対して「国防省が顧客だ」とした上で、「彼らは常に正義なのだ」と訴えた。
工場長によると、アルセニエフさんが当局者に助けを求めても無視された。
会社が破産寸前に追い込まれた2024年7月26日、アルセニエフさんはモスクワの赤の広場に足を踏み入れた。ロシア革命の指導者・レーニンの霊廟近くでアルセニエフさんは全身にガソリンをかけ、自らに火を放って焼身自殺を図った。一命を取り留めたものの重度のやけどを負い、数週間入院した。
アルセニエフさんは契約に問題があったとの主張を否定し、自分をおとしめようとする人たちが当局に根拠のない苦情を送ったと主張した。
アルセニエフさんは「受注が増え、納入を履行している会社がなぜ倒産するのか」と問いかけ、「おそらくそこに問題があるということだろう」と語った。
ロシアの大統領府と国防省は、アルセニエフさんの事例や防衛契約全般の取り扱いに関する詳細な質問に回答しなかった。
<防衛企業に圧力>
アルセニエフさんによると、ボルナ中央科学研究所は部品価格を巡る政府との対立が資金不足を招き、納税不履行により同社の口座は凍結された。給料が払えなくなり、訴訟も起こされた。
アルセニエフさんは「突然、破産寸前に追い込まれた」と振り返る。
2024年9月に債務回収のために執行官が派遣されたが、差し押さえ可能な資産を見つけられなかったという。
アルセニエフさんの苦境は、生産拡大を長年求められてきたロシア防衛企業が受けている圧力を露呈している。
ロイターがモスクワの裁判所の判決を調べたところ、アルセニエフさんが経験した困難は特異な事例ではないことが判明した。
モスクワの裁判所のウェブサイトに掲載された文書によると、ロシアのウクライナ侵攻後に国が発注した防衛品納入を妨げたとして刑事訴追された人は少なくとも34人に上る。この中には少なくとも11人の企業トップと2人の幹部が含まれる。
22年2月にロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を命じて以来、ロシアのメーカーは砲弾やミサイル、戦車、ドローン(無人機)の生産を増強してきた。それらはウクライナが生産できる量や、西側の同盟国から調達できる量を上回っている。
しかし、ロンドンのシンクタンク、チャタムハウスのコンサルティングフェローのマチュー・ブレグ氏や、西側諸国の複数の安全保障アナリストによると、この分野は非効率性と汚職に悩まされている。結果としてコストの急騰、生産遅延、割当量の未達成が生じている。
ブレグ氏はロイターに対してロシア大統領府の対応策、すなわち国防省と国営防衛企業ロステックへの意思決定の集約や、請負業者への厳格な規則の適用が企業の革新と近代化の能力を損なっていると指摘した。
ブレグ氏は7月に発表した論文で、短期的にはロシアがウクライナや西側諸国に対する脅威であり続ける能力に影響を与えないだろうと記した一方で「ロシアが敵対国との競争力を維持することはより困難になる」と言及した。
ロステックはロイターの質問に対し、ロシア防衛産業が「衰退」しているとの見方を「プロパガンダによる作り話だ」と一蹴した。
ロステックはテレグラムのアカウントを通じて「ロシア防衛産業は全く問題ない」と主張した。
<スターリンの亡霊>
ロシア大統領府によるメーカー対応は、防衛産業を監督する軍事産業委員会の委員長を務めるメドベージェフ前大統領(ロシア安全保障会議副議長)が指揮している。
メドベージェフ氏は23年3月の業界幹部との会合で、スターリンが第2次世界大戦中に送った電報を読み上げた。そこには、武器を期日までに納入できなかったメーカーを「犯罪者のように粉砕する」と記されていた。
メドベージェフ氏が自身のテレグラムのアカウントに投稿した動画によると、同氏は「諸君、私の言葉を聞いて最高司令官の言葉を覚えておいてほしい」と呼びかけた。
大統領府を通じて発言に関して質問したものの、メドベージェフ氏は回答しなかった。
メドベージェフ氏による「脅し」の根拠となるのが、17年に制定された法律だ。この法律では、私利私欲のために防衛契約を損なう行為を犯罪とし、最高で禁錮10年の刑を科すとしている。ウクライナへの侵攻前、モスクワの裁判所のウェブサイトに記録された起訴事例はわずか1件だった。
この法律は22年9月に改正され、起訴対象となる過失行為の適用範囲が拡大された。現在では防衛契約の拒否や履行不能も対象に含まれており、特定の状況下では被告が私利私欲を追求していたことを立証する必要がなくなった。
プーチン大統領は23年1月、検察官に対して防衛発注の期日通りの履行について「監視を強化する」ように促した。
ロイターが特定した35人の被告のうち、少なくとも5人が裁判所で最長6年の禁錮刑を言い渡され、15人が拘束されて判決を待っている状態だ。
赤の広場で「抗議行動」を行った後、一命をとりとめた前出のアルセニエフさんは、会社の財務面および法的な問題を解決しようと、入院先の病院からも仕事を続けたという。しかし成果はほとんど得られなかった。会社は今も存続しているがの、人員削減を余儀なくされ、受注規模も大幅に縮小している。
アルセニエフさんはいまは職場に復帰しているが、多くの時間を裁判に費やしている。焼身自殺を図った件では、重要な場所で無許可デモを行ったとして、裁判所から罰金を科されたという。
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