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紀元2世紀のジョーリヤーン仏教僧院の遺跡。パキスタン、タキシラ遺跡の巨大建造物群の一部だ。(MUHAMMAD FAIZAN/GETTY IMAGES)
パキスタンの首都イスラマバードから北西に車で30分ほどの場所に、約3000年前に始まり、紀元前6世紀からおよそ1000年もの間、中央アジアで最も重要だった都市のひとつがある。ヒンドゥー教や仏教、ギリシャ、そしてゾロアスター教などの文化が融け合い、花開いたタキシラだ。
古代の末期に破壊されてから長らく忘れ去られていたタキシラは、1800年代に再発見されると、多様な文化がヨーロッパ人を驚嘆させた。三つの主要な交易路が交わる立地ゆえに、タキシラは異なる宗教や慣習を創造的に融合させる中央アジアの伝統を反映していた。

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壮大な起源と紆余曲折の歴史
タキシラは、インドの偉大な叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する。物語によれば、この都市の名は叙事詩の英雄ラーマの甥であり、都市の創設者の息子であるタクシャにちなむものとされる。歴史家は、タキシラの起源は紀元前1千年紀のベーダ時代、すなわち最初期のヒンドゥー教聖典がつくられた時期だと考えている。(参考記事:「「ハヌマーン」とはどんな神様なのか、関連する映画が続々公開」)
その後、タキシラはガンダーラ地方における仏教文化と学問の中心となったが、紀元前6世紀にペルシャ帝国のキュロス2世によって征服された。そして200年後、アレクサンダー大王がペルシャ帝国を打倒し、仏教のガンダーラ文化がギリシャ世界と融合する時代が始まった。

タキシラで発見された紀元4世紀の弥勒菩薩像。インドとギリシャ双方の特徴が見られる。パリのギメ美術館所蔵。(RMN-GRAND PALAIS
紀元前3世紀のマウリヤ朝アショーカ王の治世後、タキシラの都市中心部は再建され、その後2世紀にわたりインド・ギリシャ系のインド・グリーク朝の支配を受けた。続けて、この都市はスキタイ人、パルティア人に占領されたのち、クシャーナ朝の支配下に入った。(参考記事:「文明の十字路、バクトリアの至宝」)
紀元1世紀から4世紀にかけて、タキシラは旧市街の近くに再建された。クシャーナ朝の支配者たちはヒンドゥー教、仏教、そしてペルシャの宗教であるゾロアスター教を信仰していた。(参考記事:「ゾロアスター教 聖なる火を守り続ける」)
タキシラは、西アジア、カシミール、西インドから荷を積んだキャラバンが通過する、利益の大きい三つの交易路の合流点に位置し、繁栄した。しかし、紀元5世紀、様々な征服者に適応し進化してきたタキシラの歴史は、暴力的かつ突然に幕を閉じる。フン族による略奪の後、都市は放棄され、廃墟と化した。(参考記事:「アッティラ王が率いたフン族 残忍ではなかった?」)
次ページ:玄奘の旅行記などを照合し、ついに場所を突き止める
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