昨年はブルーストッキングが凱旋門賞を制覇。(Photo by Getty Images)

凱旋門賞 競走条件・賞金HISTORY


凱旋門賞(G1)

2025年10月5日 (日) 23:05[現地時間 2025年10月5日 (日) 16:05]

フランス パリロンシャン競馬場

芝右2400m 3歳以上 牡・牝

負担重量:4歳以上=牡馬59.5kg、牝馬 58kg 3歳=牡馬 56.5kg、牝馬 55㎏

賞金総額:500万ユーロ(約8億円)

1着賞金:285万7000ユーロ(約4億5712万円)

※1ユーロ=160円で換算

凱旋門賞 歴史HISTORY

凱旋門賞の舞台であるロンシャン競馬場(パリロンシャン競馬場)は1857年に開場した。それを機に国際化の推進と最高の馬を発掘するためのプロジェクトをフランス馬種改良奨励協会が構想し、支援者だったモルニー公の提唱により仏ダービー馬と英ダービー馬を競わせることを狙いとした3歳馬限定のパリ大賞を1863年に創設。30年後の1893年にも3歳馬と年長馬が対戦する別定戦のコンセイユミュニシパル賞(現在のコンセイユドゥパリ賞)を2つ目の国際レースとして新たに設けた。

この間、フランスの競馬は普仏戦争(1870~1871年)、第一次世界大戦(1914年~1918)で開催中止に追い込まれるなど甚大な損害を被る。そして、第一次大戦が終結後の1920年には衰退した競馬産業の再生を期して奨励協会が新たな企画を打ち出し、コンセイユミュニシパル賞と同距離で、斤量を馬齢によって分けた対等な条件で競わせる3つ目のレースを発案。それが現在の凱旋門賞となる。

それより前の1919年7月14日、第一次大戦の連合軍が戦勝記念碑でもあるエトワール凱旋門の周辺を勇壮にパレードしていた。その光景が新設レースを華々しくアピールしたい奨励協会のイメージ戦略にも合致したことにより、1882年から条件戦で使用されていた「凱旋門賞」の名称が新設のレースに引き継がれることになった。

フランスの競馬は第二次世界大戦でも大きな影響を受け、凱旋門賞は1939年と1940年に開催中止、1943年と1944年にはトレンブレー競馬場の2300mで代替開催となる。また、ロンシャン競馬場が大規模な改修工事を行った2016年と2017年はシャンティイ競馬場で開催され、新装後のロンシャン競馬場はパリロンシャン競馬場へと改名された。なお、レースレコードの2分23秒61(2016年ファウンド)はシャンティイ開催でのもの。パリロンシャン競馬場での最高タイムは2分24秒49(2011年デインドリーム)となっている。

レースは地元のフランス馬が優勢で、2024年までの103回で約7割と他国からの遠征馬を圧倒している。その中でも中心を担ってきたのは3歳の牡馬だが、2005年に仏ダービーの距離が2400mから2100mに短縮されたのを境に、遠征馬や牝馬の優勝が増加するなど傾向に変化が表れた。2023年の優勝馬エースインパクトはフランスの3歳牡馬として2006年のレイルリンク、その年の仏ダービー馬としては2005年のハリケーンラン以来となる勝利だった。

また、優勝馬の輩出国はフランスの他に英国、アイルランド、ドイツ、イタリアに限られ、欧州域外からは未勝利。2着まで対象を広げても日本のエルコンドルパサー(1999年)とナカヤマフェスタ(2010年)、オルフェーヴル(2012、2013年)、ニュージーランドのバルメリーノ(1977年)の4頭(計5回)しかいない。

日本調教馬は2024年まで32頭が計35戦し、前記3頭による2着が最高。これらの他に5着以内に健闘したのも、2013年のキズナと2023年のスルーセブンシーズの2頭(ともに4着)に留まっている。2006年のディープインパクトは3位入線後に失格となった。

連覇はクサール(1921、1922年)とコリーダ(1936、1937年)、タンティエーム(1950、1951年)、リボー(1955、1956年)、アレッジド(1977、1978年)、トレヴ(2013、2014年)、エネイブル(2017、2018年)が達成。これにモトリコ(1930、1932年)を加えた計8頭が2勝しており、3勝以上した馬は存在しない。

人物ではL.デットーリ騎手の6勝、A.ファーブル調教師の8勝がそれぞれ最多となっている。

凱旋門賞 過去レース結果(歴代優勝馬)HISTORY

※2000年以降を記載
※2016年と2017年はシャンティイ競馬場開催