ブラックホールは宇宙で最も強力な重力をもち、光さえも脱出できないほど時空を深くゆがめる存在だ。ブラックホール同士が衝突するなどして揺れ動くと、準固有振動と呼ばれる特有の振動パターンの重力波(時空のひずみが波のように伝わる現象)を発する。この“響き”は重力波として地球からも観測でき、ブラックホールの質量や形状の情報を引き出す手がかりになる。

だが、衝突によって合体したブラックホールがゆらぎながら小さくなると、重力波の振動は急速に減衰してしまう。この複雑な重力波の性質を体系的に記述することは容易ではなく、ブラックホール研究における長年の課題だった。

こうしたなか、数学的な技法である「完全WKB解析」を応用して、急速に減衰するブラックホールの準固有振動の周波数構造を精密に捉えることに、このほど京都大学と大阪公立大学、理化学研究所による共同研究チームが初めて成功した。

「完全WKB解析は、日本の数学者が基礎の確立に貢献した技法です」と、大阪公立大学特別研究員の宮地大河は説明する。「物理学への応用は近年になって進展し始めたばかりなので、今後のさらなる発展が期待されます」

完全WKB解析とは、波の性質や動きを数学的にそっくり再現するための計算方法のひとつである。複雑すぎて通常は正確に計算できない波のふるまいを、工夫した手順で可能な限り本物に近いかたちで導き出せる。もともとは数学の分野で発展した手法であり、ブラックホールの研究に応用されたのは今回が初めての事例だという。

数学がつなぐ無限の波

この手法の特徴は、ブラックホールの周囲の空間を実際の3次元空間だけでなく複素平面上にまで広げて考える点にある。複素平面とは、複素数を使って新しい座標軸を追加した計算上の仮想空間のようなものだ。この拡張によって、光が抜け出せる境界線である事象の地平線から遠く離れた領域まで、波の動きを途切れなくたどって詳細に解析できるようになる。

研究チームは今回、解析の過程で「ストークス曲線」と呼ばれる数学的構造を詳しく調べた。これは波の性質が急変する境界線のようなもので、事象の地平線の近くでは対数らせん状に幾度も巻き付く特異なパターンを描く。このらせんは波の計算に微妙な変化を無限に生じさせることから、従来の方法にとっては大きな誤差の原因だった。

このらせん構造の効果を正しく計算に組み込むことで、研究者たちは事象の地平線から無限遠までの波を正確につなぐことを可能にした。これにより、ブラックホールの振動数を決める「量子条件」を誤差なく導き出せるようになったという。

完全WKB解析の信頼性を検証するために、研究チームは数式で完全に解けることが知られている「調和振動子」や「モースポテンシャル」などの物理モデルを対象にテストした。これらが既知の結果と一致することを確認したうえで、実際のブラックホールを表すシュワルツシルト解に適用した。その結果、過去の研究で得られた振動パターンを再現することにも成功した。

「これまで見落とされていたらせん状のパターンが、重要な役割を果たしていることがわかりました」と、宮地は説明する。このパターンはブラックホールの“響き”の全体像を理解するうえで欠かせないものであり、観測データと理論をつなぐ架け橋になるという。

この方法は、回転するブラックホールや電荷をもつブラックホールにも適用できると、研究者たちは考えている。また、ブラックホールが波を通す度合いや振動の強さを求めるための計算にも活用できる可能性がある。