あまたの名馬と名騎手によって彩られてきた日本近代競馬の歴史。その裏側には、悲運に見舞われ、騎手人生をまっとうすることが叶わなかったジョッキーたちがいた。前田長吉、中島啓之、福永洋一、岡潤一郎。志なかばでターフを去った名手の足跡を追った。(全3回の2回目/前編、後編へ)
「父はヒサトモでダービー制覇」中島啓之の生い立ち
前田長吉が乗ったクリフジは、史上2頭目の牝馬のダービー馬であった。
では、史上初の牝馬のダービー馬はどの馬かというと、1937年の第6回日本ダービーを制したヒサトモである。ヒサトモは、1984年のオークス馬トウカイローマンや、1991年のクラシック二冠などを圧勝したトウカイテイオーらの牝祖としても知られている。
ヒサトモの主戦騎手は中島時一。ヒサトモでダービーを勝ったときは31歳で、これがダービー初騎乗であった。彼はヒサトモを管理する調教師でもあり、いわゆる「調騎兼業」としてレースに出場していたのだ。
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その後、戦争が激化して競馬が能力検定競走になると故郷の広島に帰った。戦後、競馬が再開されても競馬界には戻らず、広島で農業をつづけた。
歌人、劇作家、競馬コラムニストとして活躍した寺山修司は、著書『競馬への望郷』にこう書いている。
<当時のファンにいわせると、中島時一はニヒルな二枚目で、一匹狼であったらしい>
ダービージョッキーになりながら、スパッと別の生き方に切り替えてしまうところにも、淡々と我が道を行く姿勢がうかがえる。
時一の長男である中島啓之は、1943年6月7日、東京で生まれた。翌年、父とともに広島に移る。
父がダービーを勝った6年後に生まれ、すぐ東京を離れた彼は、父のレースを見ていないに等しかった。
<家にはアルバムが何冊かあり、そこには若い日の父の写真が貼ってあった。父は馬上で手を振っていた。
「ぼくには、競馬がどういうものだか、見当もつかなかったし、父もあまり語ってくれなかったが、その世界に惹きつけられたことは、確かだった」>(寺山修司『競馬への望郷』より)
啓之も騎手への道を志すようになり、1962年にデビューする。同期には「豪腕」郷原洋行らがいた。
史上初のダービー父子制覇も…父・時一はすでに他界
啓之はしばらく大舞台には縁がなかったが、1973年の有馬記念を10番人気のストロングエイトで優勝。八大競走初制覇を果たす。
