分かった気になってはいけない 戦後80年の証言 養老孟司さん



「バカの壁」などの著書で知られる、解剖学者の養老孟司さん(87)。

生まれ育った鎌倉で7歳の時に終戦を迎えました。

鳴り響く空襲警報や食糧難などが自身の戦争体験と語った養老さん。

さらに、終戦を機にこれまでの「当たり前」が一変するさまを目の当たりにしたことが、自身の価値観に大きな影響を与えたといいます。







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配信期限 :5/1(木) 午後10:00 まで




戦争に関する取材を受けた理由は?

Q.これまで戦争のことをあまり語っていないという印象がありますが、理由があったのでしょうか。

養老孟司さん
「子どもでしたし、直接いろんな被害を受けたわけではないので。今思うと間接的な影響だったと思います。父親が昭和17年に結核で亡くなったのですが、それまで東大病院に入院していまして、あの時に東京の空襲があったんですね。病院の窓ガラスが爆弾でブルブル震えていたのを覚えています。その翌日に患者さんがみんな病院の地下に避難したんです。そのときに病院にいましたから、そういう記憶はありますけどね」

Q.今回なぜ取材を受けていただけることになったのですか。

「特に何かあったわけじゃないんですけど、歳を取りましたから、昔のことを言いたくなるんでしょうね。戦争関連で一番覚えているのは、戦中戦後の食糧難ですね。当時はかぼちゃとさつまいもしか食べるものがなくて嫌ってほど食べたから、僕の年代はかぼちゃとさつまいもはもう食べないっていう人は結構多いと思いますよ」

戦争体験で変わった価値観 解剖学者の道へ

Q.戦争体験は養老さんの価値観に変化を与えたのでしょうか。

「ものすごく大きく影響していると思いますね。結局仕事も解剖学者という妙な仕事を選んでいますし。医学部に入ったら医者になるのが当たり前ですけど、そうならずに死んだ人を見る事を選んだ。何の役にも立たないのになぜかというと、要するに騙されないから、ということなんです。亡くなった人はうそをつかないから。解剖も相手との一種の話し合いですけど、そこに何かうそが入ってきたら、相手は何もしていないので私の方が入れていることになる。虫もそうですよ。虫の方に何か意図があって何かしているわけではないので、うそがあったらすべてはこちらですね。そういう風になっちゃったのもやっぱり戦争でああいう風に社会的に価値観が大きくがらっと変わったということがありますよ」

戦争はことばで伝えるのは難しい

Q.そういった経験を若い世代に伝えたいという思いはなかったのでしょうか。


「ないですね。僕はそういうことばを信用していなくて、実体験というようなものの方が重要だと思っているので。この問題はとっても厄介で、いつもそれを考えているんですよ。ことばってどこまでものを伝えるか、そしてことばといわゆることばにならない現実の関係ですね。なので戦争のことも伝えようがないなと思っています。だから多分非常に多くの人が黙ってたと思うんですね。黙ってた理由は、一つはあまりいい思い出じゃないから思い出したくないということもあるかもしれません。もう一つは言っても通じるはずがないというのがあるんだと思うんです。ことばにしちゃった状況の方がどんどん大きくなって、本来ことばが出てきた背景にある世界のほうが小さくなっているんじゃないかと。それを現実とか実態とか言っているんですけどね。実態が小さくなって、ことばが大きくなっていると思うんです」


「物事はことばや情報で伝えられるものと伝えられない背景があり、そこの想像力が聞く方にあるかという問題ですね。それがないと一生懸命何か言っても違うふうに捉えてしまう、あるいは一番まずいのはそういう情報を捉えることによって分かったという誤解が生じることです。『バカの壁』でも紹介しているんですが、イギリスのBBCが制作した夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー番組を学生に見せたとき、女子学生は『新しい発見があった』という感想だったのに対して、男子学生は『保健体育の授業で聞いたことがある、知っている』という反応で、男の子はやっぱり妊娠とか出産っていうことを現実として受け止めてないなっていうことですね。戦争のこともうっかり話すとそういうことになっちゃうんじゃないかなという気がするんです。自分の生活と関係ないことに対しては、人間はあまり現実感を持たないので、やっぱり『お話』になっちゃう」

Q.聞く側もただ聞くだけではなくもっと想像力を働かせなければいけない、ということですか。

「そこがとても難しいところで、ことばにしようもないことが存在するということを説明しようとするわけですから」

ことばを信じるのではなく、自分事として考えられるか

Q.改めて振り返って、養老さんにとって戦争の経験とはどういったものだったのでしょうか。

「僕の場合は食糧難ですね。それとある種の情念というか、情動のようなものでしょうか。日本の場合、いわゆる一億玉砕・本土決戦になったでしょ。それが本気じゃないというのは8月15日に分かりました。あれはうそだっていうのはしみじみ分かりましたね。それからほとんどのことを私はそういうふうに見るようになっちゃいました。だから一億玉砕・本土決戦と平和と民主主義は同じように聞こえますね。だからことばでそういうことを説明しろっていうのは、嫌だっていう感じですね。やっぱりこういう時代になると情報過多とか情報があふれていると言われますけど、それを私は絶えずことばになる以前の世界に戻そうとするわけですよ。疲れるし、大変ですけど。テレビは典型的ですが、報道はこう言っているけど本当はどうなんだろうと。今のウクライナやミャンマーのことを見ていると建物が壊れてがれきが散乱している、そういう状態を自分のこととして感じられるかどうか、いうことですね」

袋小路に入ってはいけない

Q.戦争というものをことばで説明するのは難しいということでしたが、戦争を経験していない世代の人たちに必要な考え方や価値観を教えていただけますか。

「それだけになっちゃいけないということですね。戦争みたいな状況というのは、勝つためにそれこそ一億玉砕・本土決戦や神風特別攻撃隊ということになってしまう、これがまずいので。特に日本の場合はね、現実にやってるわけですから。自分自身を追い詰めていく形になるので、それはあまりよくないなと思います、そうではなくてやっぱり心を開くことでもっといろんな見方ができるのではないでしょうか。とにかく自分で勝手に袋小路を作って入り込んでいくようなことはしないほうがいい。当時はそれこそ1億近い人たちが自分たちが正しいと思ってたわけでしょ。相手が間違っていると思っていたわけです。それは何だったかというと、蛇口をひねったらお湯が出る、そんなこととんでもないぜいたくだという感覚があったんです。だからそんな欧米の生き方が許せないところがあったんです。今は日本人がそうなっちゃったから、そういう情動を忘れちゃった。忘れちゃったけど実はそれはあったわけなので。要するにみんなぜいたくしたかったんだよね。今になればわかる気がするんだけど、その感情がなくなったところであの戦争はどうだったかということを議論すると『ものすごくばかなことをした』という結論にならざるを得ないんですよ。背景にある感情が消えちゃってるから。だから肝心の戦争を始めた人たち、やった人たちも分かってたとは限らないんですね。日本には日本の特徴があって歴史がありますから、なぜ80年前に戦争になったのかということは、そこは考えてもいいんじゃないですかね」

未来への警鐘
養老さんの価値観を変えた、80年前の戦争体験。

しかし人を変えるような出来事は戦争に限らないものであり、そしてこれからも起こりうると、養老さんは最後に呼びかけました。

養老孟司さん
「これからそういうことは当然あり得ますよ。南海トラフ巨大地震のような災害もそうですし、本当に私が経験したようなどころじゃない、もっとはるかに深刻な事態が起こりうる。それを日本の人たちがどういうふうに通り抜けるかで、次の時代が始まると思います」

(4月24日 ニュースウオッチ9で放送)