日本の近代を代表する木彫家の一人として知られる平櫛田中を紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は平櫛田中について勉強していきましょう。
平櫛田中。1872年生まれ。日本の近代を代表する木彫家の一人として知られます。
田中は、明治5年に岡山県で生まれました。家は貧しく、15歳で大阪の商店へ奉公に出ることとなります。そんななか田中は彫刻に興味を持ち、22歳で人形師の中谷省古に入門します。
一時は体調を崩して地元に帰りますが、26歳となる1898年には東京に移住。高村光雲に入門します。また、田中は寄宿した長安寺で、臨済宗の僧侶である西山禾山の説法を受け大きな影響を受けました。
1907年、岡倉天心は高村光雲の協力を得て、日本で最初の本格的な彫刻団体である「日本彫刻会」を結成します。そこで田中や、光雲門下の兄弟弟子であった米原雲海と山崎朝雲らが参加しました。
そこで日本彫刻会の第一回展示に田中が出品した作品が「活人箭」です。西山禾山に学んだ禅の講話を題材に制作しています。当初は天心から「死んだ豚も射れまい」と批判されたことで奮起し修正。現代では田中の代表作の一つとなっています。
田中は天心を深く尊敬し、影響を受けていきました。1913年に天心が亡くなると、天心がかつて立ち上げた団体である日本美術院を横山大観らが再結成。田中もそれに加わっています。
田中の作品を見ていきましょう。
「五浦釣人」。1930年、田中58歳の頃の作品です。天心をモデルとした肖像彫刻ですが、釣り人姿という象徴的・物語的な場面を描き、当時の自然主義的な写実彫刻の潮流に対して独特なものとなっています。
「鏡獅子」。1958年、田中86歳の頃の作品です。
田中は、1979年に107歳で亡くなります。老年となっても旺盛に制作を続け、日本の近代を代表する木彫家の一人として、多くの傑作を残したのでした。
以上!
