★1◆
0:00 ユーチューバーに「益子倭(やまちゃん)」という方がいます。
バレエ界では、名前が知られた方のようですね。
著名な上野水香、小野絢子、柄本弾との写真があります。
2020年の写真ですが、益子倭は、現在より、
ひきしまった表情をされています。
このようなハイクラスに居られた方ですから、発言には、注意が行くと思うのですが、驚くような内容の事を言っています。【やまちゃん https://www.youtube.com/watch?v=MWvweW01cWM】
「益子倭(やまちゃん)」は、有馬(京都バレエ専門学校)で学習した女性から、発表会の一員として、京都へ招待されたようです。
やまちゃんは、2023年2月に、はじめて京都へ来たそうです。
「右京ふれあい文化会館」(JR花園駅、北は「妙心寺」)に来て、
バレエの演技をされたそうです。
有馬の「学習発表会」に呼ばれたけれど、録画機(ユーチューブ)の使用が禁止されたと、録画(動画)で、からかいながら批判をされています。
有馬の「学習発表会」ですが、バレエ学校と生徒への配慮として、映像は専門家に依頼し、撮っているのです。
間違った批判などをすると、普通のひとは、「益子倭」を招待した女性に多大な迷惑をかけるのではと思うのですが。
益子倭が足を踏み入れた、一帯ですが、日本のバレエ文化に大きな貢献をした、「中川牧三」の先祖が所有していた場所なんです。
中川牧三の、お母さんですが、宇多野の「陽明文庫」(仁和寺の西)に住む、近衛秀麿の母へ、野菜など食物を届けていたそうです。
子爵であり、天皇家からの近衛秀麿がいて、日本のバレエの歴史ができたといっても過言でないのです。
◆2◆
02:02 歴史からのことですが、益子倭どうよう、同じく歴史とパートナーを無視できるバレエの女性がいます。【https://www.youtube.com/watch?v=lc8onadu-0I&t=605s
音楽家の葉加瀬太郎との対談(J-WAVE、2022年7月23日)】
で、住まいを尋ねられ、「京都の大阪よりの方」との返事ですが、年上の葉加瀬太郎実へ、実に、下品で甘えた言葉使いをする人と感じました。身長が低い(156㎝)ことも、谷桃子バレエ団どうよう、露悪趣味にして言ってます。
不遜な態度での、上司へのからみは、スターダンサーズ・バレエ団のプリマ、渡辺恭子にも、塩谷彩菜へも見られます。
プリマは、リハーサルを監督など複数の視点からの、アドバイスが欲しいと思いますが、団体の規模の小ささか、渡辺恭子は多くの責任を負い、つらいのではと感じます。
この方のバレエを見て、純粋さを見せる塩谷彩菜の、基礎のできた腰部(腸骨から股関節)から、足を使った、床への打ち付け(touche le sol)があるのかと思いました。
身長のことですが、ボリショイのオブラツワ嬢を見ればわかりますが、彼女は157㎝と言うことです。可憐であいくるしいバレエをされる方です。とにかく、顔、手、脚での、複雑で上品な演技力が、バレエを見る人を魅了してゆくのだと思います。
私が見て、身長がどうのこうのを、感じたことはありません。
オブラツワ嬢ですが、「バレエのレッスン方法」を公開されています。これは重要なテキストです。【https://morgoth.blog.fc2.com/blog-entry-2190.html】
京都の南、向日市ですが「かぐや姫の里」です。ここに松本みゆき市議がいます。この女性が開催したバレエの会に来てくれた人です。
乙訓郡(おとくに)の活性化を願う、松本みゆき市議は、天王山がある大山崎で、1968年、私の(啓光学園)担任で、三年間国語担当だった津田彰先生(神主)と写真を撮られています。
ここら一帯ですが、9世紀は嵯峨天皇による離宮八幡宮の荘園になり、大学では古代荘園論の金田章裕先生からも習いました。
◆3◆
05:20 指揮者の近衛秀麿と弟子の中川牧三を知られてない理由として、日本のバレエ界が歴史を重要視していない、作り物の歴史を続けたからです。
戦後スタートした、谷桃子バレエ団など、中川牧三が在ってこそ成立したバレエ団なんです。
戦後スタートした谷桃子バレエ団のことです。
歴史的事実をすべて消し、作られた理想のものを、
若い世代に押しつけ、苦しみのなかに、いるように
感じられます。
谷桃子の「白鳥の湖」は、舞台の上に並んで、手足を
動かしているだけだったそうです。
バレエの特徴であるジャンプは、なかったそうです。
なぜ大恩人である、陸軍参謀だった音楽家の中川牧三(1902ー2008)へ、感謝を示すことができないのでしょうか。また、近衛秀麿(1898ー1973)に対してもです。
京都の学生が、バレエに必要な西欧音楽への参加ができる、ブラスバンドを作ったのは、夏目漱石の級友、中山再次郎(1867-1963)です。
中山再次郎は、京都府立二中(鳥羽高)の初代校長を勤め、小説『坊ちゃん』のモデルです。
この中山再次郎の教え子、三宅宗雄(1895ー1989)が京大(医)へ入学し、京大オケができました。
京大オケの初代音楽部長も夏目漱石の級友、藤代禎輔(1868-1927、文学部長)でした。
二代目部長が今村新吉(1874-1946)東大卒、精神科教授。
いつも赤シャツを着ていて「坊ちゃん」の
「赤シャツ」のモデルになった人です。
京都への文化の世話人で、欠かせないのは、
建築家の本野精吾(1882ー1944)です。
1921(大正10)年、京都に社交ダンスを
もたらした人です。作曲家・山田耕作が
パトロン(三菱の岩崎小弥太)をなくしたとき、
京都のパトロンを紹介した人です。
京都の音楽史から消えているみたいですが、
京響の初代指揮者カール・チュリウスを
招いたのは、山田忠男先生です。
京響や京都会館のことで、高山義三市長に、
掛け合わせたのも、山田忠男先生です。
京都の人が夏目漱石にくわしいのは、山田忠男先生の
還暦パーティーの発起人で、司会進行をした文人・真下五一が
いたからです。
それと、正岡子規の家を継いだ、正岡忠三郎
(1902-1976・京大経)が、
京大オケのメンバーで、阪急電鉄では、
朝比奈隆の先輩だったことにもよります。
★4◆
08:10 中川牧三ですが、近衛秀麿に連れられ、1930年、
ロシアへ行きました。
ついで、中川牧三は、陸軍の蒙古にいたとき、南京の総司令部・参謀部に呼ばれ、上海への赴任(1943)になったそうです。
戦争末期、参謀の中川牧三は、イタリア人、ドイツ人
演奏家で構成された一流の上海交響楽団の指揮をして
いました。発展のため、日本から80人の文化人、
芸能関係者を招いたそうです。
そこには、作曲家の服部良一、指揮者の朝比奈隆も
いました。京都の音楽界では、尊敬をこめて、
「われらの牧さん」と、呼ばれていました。
朝比奈隆が、本格的な楽団を指揮したのは、上海に
おいてです。朝比奈は、夢のような出来事と、京大
オケの親友たちに語っていたそうです。
バレエですが、軍人たちへの慰問のためにです。
女性の脚が見える。太ももが見えるということは、
たいへんなエロスだったわけです。
中川牧三は、小牧正英(谷桃子の夫)へ、希望どおり
ロシア人バレリーナをあてがい、1944年に小牧正英は、バレエ関係者になったそうです。
上海の中川牧三ですが「私の配下に翻訳するだけで、六〇人くらいいました」(P84『101歳の人生をきく』中川)と書いています。参謀は通訳、翻訳家を60人も従えていたことを知り、驚きました。
戦後ですが、日本音楽コンクール審査委員長の山田忠男先生は、京大オケOBを使って、近畿圏にいる10万人単位の「GHQへの慰問」に忙しかったそうです。1954年から、円山音楽堂を使い、山田忠男先生は、毎週京都市民に、「土曜コン」演奏会(小さなオペラ、バレエも含む)などの無料ステージを開催しました。
楽しい歌声が好きという中川牧三は、とにかく明るい
性格をされ、音楽での演出は、ボランティアで参加
していたひとなんです。
山田忠男先生による、中山再次郎の記載ですが、「中山校長の二中ブラス・バンド」P121『随想風音楽論』山田)と見つけにくい表記です。
同じく、中川牧三ですが、「演出は中川の牧さん」(P165『随筆京都学のすすめ』山田)といった、あきれかえるほど、分かりにくい表記です。
要約として、軍人と政治家相手に、ストリップと枕営業(売春)などで、中国共産党とロシア政権から逃れ、GHQへの慰問でショーをしてきたのが、小牧正英と谷桃子です。
戦後、GHQのアメリカ兵など、バレエなど知りませんし、『白鳥の湖』と言っても、なんのことか分からないので、「ストリップ」「ヌード」と言って、観客を集めたのが小牧正英ということです。
上海で、中川牧三が集めたロシア人ダンサーの踊り、
これを見ようみまねで、バレエ経験のない
学生アルバイトたちに、白鳥さんは手をパタパタと教え、
スポンサー(興行主)の「東宝」(阪急の小林一三)は、
ダンサーに賃金を払わなかったのです。
時代(風俗)に合わせた生き方が、小牧正英と
谷桃子なんです。その場限りで、良かったようです。
一日で、バレエ関係者になれた小牧正英は、俳優の
フランキー堺を一日で、バレリーナにしたそうです。
谷桃子も、何がバレエかわからない、軍人相手に、
ショービジネスのストリップと売春まがいを、
してきたそうです。
どさくさの戦前、戦後。中川牧三の上海交響楽団所管の楽譜をパクッてきた小牧正英に従い、谷桃子は自力で生きのびたのです。そして、谷桃子バレエ団という形を残したのです。
★5◆
13:20 カール・チェリウス夫妻が、来日(1955年秋)した頃、
日本は、売春防止法(1956年5月)が、成立しました。
私は、売春婦が町からいなくなり、京都の観光客が
増えたと思ったんです。すると、山田先生は、反対です、
閑散としてしまったんですと、言われました。
そこから、谷桃子バレエ団の話になり、
商売上手な小牧正英の話をしてくれました。
上海で、小牧正英といっしょだった音楽家に、
服部良一がいます。
エログロの作品にすれば、大衆が関心を寄せる
ことを学んだんです。
それは、今の、「東京ブギウギ」(1947)で
わかるでしょう。
エロ作曲家と言われても平気だった服部良一の手腕ですね。
多才というんでしょうね。大衆受けの作詞もして、リズミカルに、
スカートをひらひらさせ、下着を見せることによって、爆発的な
人気が出たんです。
山田忠男先生は、服部良一を見上げるように褒めていました。
たしかに、服部良一の作品群を見ると、彼のものは、
ミュージカルにも、オペラにもバレエにも作り変えることが分かると思います。
私は、山田忠男先生から、有馬バレエ(有馬龍子)と、谷桃子バレエは、成り立ちがまったく違うと習いました。
15:25 短歌 平安歌人Yayoi
上野水香インスタ https://www.instagram.com/mizukaueno/#
京都バレエ専門学校 http://www.kyoto-ballet-academy.com/
Eugenia Obraztsova① https://morgoth.blog.fc2.com/blog-entry-2190.html
Eugenia Obraztsova② https://www.youtube.com/watch?v=F8fVf2yeKeE
松本 みゆき 向日市議 https://www.instagram.com/gekikara_miyu/#
離宮八幡宮(大山崎町)http://rikyuhachiman.org/
