上方歌舞伎を代表する女形で人間国宝の片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう、本名・片岡彦人=よしひと)さんが23日午後0時55分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため大阪府吹田市の自宅で死去した。79歳だった。葬儀・告別式は家族葬で執り行った。松竹が27日、マスコミ各社にファクスで報告した。後進の育成にも熱心で片岡愛之助(49)の養父としても知られる。昨年12月の京都・南座「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」が最後の舞台となった。
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「波には乗れ、調子に乗るな」。秀太郎さんが愛之助をはじめ、後輩によく話した言葉だ。映像での仕事が増え、注目が増す愛之助に「もっと古典をマスターしないと。まだまだです」と厳しく、ほめなかった。しかし、藤原紀香との結婚時には「もう40歳を超えた大人。本人たちが考えて決めたこと。それをとやかく言うことはない。(紀香は)とてもいい人」と早くから理解を示していた。
天才子役といわれた。「幼いときにほめられても結局、弟(仁左衛門)の方がいまはすごい。役者の成長はさまざま」自身を冷静に客観視していた。19年に人間国宝に認定されたのは女形の重要な脇役として、また長年の技芸伝承の貢献によるもの。このとき取材したが、肺に持病があることを漏らし「実はそろそろ役者をやめ、後進の指導に専念しようと思っていた」と明かし、「でも、これで引退できなくなった。スポーツと同じで舞台に立ち続ける中でこそ分かることがある」と生涯現役を決意した。
マメな人でインタビュー記事が掲載されれば、お礼のショートメールがきた。他の人にも同様だっただろうが「これは気持ち」とラムネをもらった。入っていた小さな箱がカラフルでかわいくて捨てられず、小物入れとして大事に使っています。(内野 小百美)